ERIC DOLPHY



リック・ドルフィーは1928年6月20日、カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれた。本名エリック・アラン・ドルフィー・ジュニア(Eric Allan Dolphy Junior)。両親は西インド諸島の血をひく。母親は独立派教会の聖歌隊の献身的メンバーだったことから、エリックは幼い時分からゴスペルに慣れ親しんでいたという。
小学校入学と同時にクラリネットを学び、ほどなくオーボエのレッスンも始めた。13歳の時、カリフォルニア州学校バンド・オーケストラ協会が主催した第7回バンド・オーケストラ祭で賞を獲得。これが公的な場での初の受賞となった。
エリックが初めて聞いたジャズはファッツ・ウォーラーだったといわれる。デューク・エリントンやコールマン・ホーキンスにも早くから興味を抱いたらしい。しかし決定的な影響はロサンゼルス市立大学在学中、当時人気絶頂だったチャーリー・パーカーから受けている。パーカーとの出会いが彼の後年の音楽スタイルを決定づけたといってもいい。

1948〜49年にかけて、エリックはロイ・ポーター楽団に所属、さらに1950〜52年にかけてのアーミー・バンド時代を経て、ジェラルド・ウィルソン、バディ・コレットらのバンドに加わり全米各地を演奏旅行した。そして1958年の初め、当時の人気グループ、チコ・ハミルトン・バンドに加わった。
この時期すでに、エリックの演奏は高いオリジナリティを見せていた。映画『真夏の夜のジャズ』(Warner Brothers)の中には、その独特なスタイルがフルートの演奏で残されている。
1959年の末、彼は演奏拠点を西海岸からニューヨークに移す。翌1960年3月から10月にかけて、歴史的な名グループ、チャールス・ミンガス・グループに加わり、名盤『ミンガス・プレゼンツ・ミンガス』(Candid)など多数の録音に参加した。この1960年に、初のリーダー・アルバム『アウトワード・バウンド』(New Jazz)を録音している。
以降、マックス・ローチやジョージ・ラッセル等のレコーディングに参加。1961年にはブッカー・リトルを含む自己のクインテットで、後世に語り継がれるファイブ・スポット・セッションを行った。また単身でドイツ・スカンジナビア半島を演奏旅行し、ヨーロッパのミュージシャンたちとも多くのセッションを行った。

ョン・コルトレーン・クインテットの一員となったのは1961年の秋。Impulseレーベルにコルトレーン名義のアルバムを残している。ヴィレッジ・ヴァンガードの伝説的セッションにも参加した。『ライブ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』『インプレッションズ』(共にImpulse)で彼の演奏を聴くことができる。
1964年2月、Blue Noteレーベルで唯一のアルバム『アウト・トゥ・ランチ』を録音。この年の春から再びチャールス・ミンガス・グループに参加し、ヨーロッパツアーに同行した。このヨーロッパ演奏旅行中にミンガスと別れ、滞欧を決意した。
1964年6月2日、オランダで遺作となる『ラスト・デイト』(Fontana)を録音した。同月29日、かねてから患っていた糖尿病により旅先のベルリンで死去。享年36歳。その生涯で残した録音アルバムは96枚。うちリーダー・アルバムは21枚。彼の愛用したフルートは形見としてジョン・コルトレーンの手に渡った。

参考文献
『エリック・ドルフィー』(晶文社)
『新・世界ジャズ人名辞典』(スイング・ジャーナル社)ほか