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より良い世の中にする方法
唐突だが、私は世の中をもっと良くする方法を思いついた。
その方法とは、万人が、「自分は平均的な凡人だという自覚を持つ」ということである。
例えば、あなたは小学生だとしよう。
あるいは、お茶汲み担当のOLでも良い。
とにかくあなたは、みんなが使う皿を洗う当番である。
超忙しいのに、そんな当番なのである。
嫌ではあるが、当番であるならば、やらざるを得ない。
で、あなたは渋々全ての食器を洗い、拭き終わったとする。
その時である。
あなたは気が付いた。
今、使っていた布巾は、台布巾であったのだ。
それでインパクトが弱ければ、トイレ拭きの布(仮にそんなものが存在するとしてだ)
であったとしても良い。
とりあえず、それで拭かれた食器では物を食べたくない、とあなたが思う
ものなら何でも構わない。
とにかくあなたは妙な物で食器を拭いてしまったことに気付いたわけだが、
さて、あなたはこの後、どのような行動を取るのであろうか?
私なら・・・迷う。
迷って迷って迷った挙げ句(この間2秒間)、「まぁ自分が使わなければいいや。」と、呟いて洗い直さない可能性は小さくない。
そう。
私は、自分の怠慢が他人の不幸を呼ぶとしても、自分の怠慢を取る。
良心のかけらもない。
どうせそんな人間である。
こんな場合もある。
例えば、あなたは今、海で泳いでいるとしよう。
広い海、青い空。
さて、あなたは急に、尿意を催した。
あなたなら、どのような行動をとるのであろうか?
私なら・・・私なら、まぁ我慢するとは思うが。
がしかし、我慢しない可能性が全く無いとは言い切れない。
考えてもごらん。
どうせ、海に生きている生物たちは例外なく海で用を足しているのだ。
(恐ろしい。)
自分が少しくらいやっちまったとしても、この広〜い大海のこと、
大して影響はあるまい。
がしかし。
しかしである。
ここで「自分は平均的な凡人だという自覚を持つ」ことを思い出すことで、
私は自分の怠慢を乗り越え、あたかも良心に目覚めたかのような行動を
とりはじめるのである。
ー少し飛躍しすぎたかもしれない。
はじめから思考の流れを追ってみよう。
「私は平均的な凡人である。であるからして、私の行動は世間の平均である。
今、私は迷っている。ここで皿を洗い直さなかったら(小用を足してし
まったら)、それが世間の平均になる。ということは、自分はいつも、
台布巾で拭いた椀で茶を飲んでいることになる(尿希薄液で泳いでいることになる)。
それは・・・・・・・・・それは嫌である。
ここで、平均の代表として私が皿を洗い直せば、きっと
世の中の平均的な人間達も、現在の私と同じ道、つまり、迷って皿を洗い直すという
道を進むであろう。
なんとなくそんな気がする。
きっとそうだ。
そうに違いない。」
ーこうして、私は皿を洗い直す決意を固めるのである。
無論、ここで皿を洗い直そうが洗い直すまいが、見られていない限り、
他の誰かの行動に影響を
及ぼすわけではないのだが、「自分の行動は人類の平均である」と考えれば、
なんとなく良心に沿った行動をとろうと考えるようになるものではないだろうか?
以前、学術的心理テストであるEPPSテストで、他者認知力
(相手の立場に立って考える力)
が5%を切っていて「君、やばいんじゃない」と知人に言われた私も、こういった考え方をすれば、
他人にやられて嫌なことは自分もしない、という道徳人間になれるのである。
本当は自分が可愛いだけなのであるが、行動としては他人への思いやりとなる。
素晴らしいではないか。
例えば床に落としてしまったトマトを、こっそり兄弟の皿に入れようとした時。
例えば賞味期限の切れたお菓子を家にやってきた友達に出してしまおうと考えた時。
「自分は世界のグリニッジ(標準時)だ!」と思うと良い。
あなたはきっと、その行為を思いとどまるであろう。
そう、もし人々が「自分は平均的な人間である」との自覚を持つようになれば、
世の中はもっとずっと良くなるに違いないのである。
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