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今年の夏の虫にまつわるあれこれ

暦の上では夏は過ぎましたが、まだまだ・・・と書いているうちに、体感的にも寒々しくなってきた今日この頃。
如何お過ごしですか?
今日は過ぎ去りし夏の思い出の一ページ、夏の虫について語ってみたいと思います。


【セミ】
さて、夏の虫といえば、セミである。
蚊とかハエとかいう最悪なヤツらも発生するが、ヤツらはしばしば、夏以外の季節にも出現するので、やはり、季節感においてセミには勝てない。 季節限定というのは、それだけで何やらコレクター精神を刺激されるというか マニア心をくすぐられるというか、とにかくある種の価値が生まれるものだ。
私も大学時代には、週に2、3日しか研究室に顔を出さなかったが、そのことにより何らかの価値が生まれていたのかもしれない。

さて、実際、セミはかなりの期間限定出現である。
そんなレアものである筈なのに、私は今年の夏、3日連続脱皮直前のセミが歩いている光景を見た。今までの人生で、そんなもの見たこともなかったのに、である。
今年のセミの脱皮数が例年と比較して極端に多かったというニュースも聞かないし、 私の視力は下がっている一方である筈だから、これを偶然と考えるには 確率的にかなり無理がある。
偶然ではない、とすれば、何かの前兆か?と考えたが、では何の前兆であるのかということになると、想像すらできなかった。
今のところ、特に良いことも悪いことも起きていない。


【鈴虫】
日本には、音で涼を得るという風流な習慣がある。 その最たるものが、風鈴、そして鈴虫であろう。
我が家でも去年、母親が知人から2,30匹貰ってきたのだが、それが卵を産んでおり、 冬の間も母親が時々霧吹きで土を湿らせていた。
そして、夏の初めのある日。
こちらでは孵ったようだがそちらではどうか、という電話を受け、ふたを開けてみると・・・。


うじゃ〜。(うようようようよ)


生まれたての2mm程度の黒い虫が数百匹、容器の中でひしめいていた。
羽が生えていないため、ちょっとフナ虫っぽい。
そのフナ虫に似ている外見の羽の生えてないそいつらが、何百匹もひしめきあっている光景は、まさに悪夢である。別の意味で何やら背中のあたりが涼しくなった。

・・・が、これがそのうち羽も生えて、半分はリンリンと綺麗な声で鳴き始めると思えば、可愛いような気もしてくるから不思議なものだ。

さて、生まれてしまったからには世話をしなければならない。
基本的に、鈴虫の世話は母親の管轄なのだが、最初のうちは興味があったこともあり、私も時々餌やりを手伝った。
鈴虫の餌としては、定番のナスやキュウリ以外にも、パンや熱帯魚用の餌やジャガイモなど、簡単に言えばなんでも食べる。
何でも食べると言えば、鳥類ではカラスだろうか。
そういえば先日、昼を食べに会社の横の公園を歩いていたら、前方でカラスが物凄く一生懸命に何かを貪っていた。警戒心の強いカラスには珍しい、その一心不乱な様子には見覚えがある。
「雀じゃありませんように。」とお祈りをしながら近づいて見てみたら、食べていたのは鳩だった。

閑話休題。
この鈴虫、餌をやるのが結構面倒くさい。ナスだとかキュウリだとかに何匹もくっついているので、餌を換える時に大変なのだ。生まれてから数週間は、本当に小さくて、それで、ナスについた水滴で溺れ死んだり、腐った野菜の汁にはまって死んだり、崩れた野菜に押しつぶされて圧死したりと、非常にバリエーションに富んだ非業の死を実演してみせてくれたが、多少大きく成長するとそれもなくなり、暫くの間、主な死因は共食いとなった。
が、元の数が数なので、多少共食いしたところでうじゃうじゃいることには変わりない。あまりに見苦しいのと流石に可哀想な気がしたこともあり、最終的には30cm容器×3つに分けることになったのだが、それでもなお、兄弟たちと出会わずに5cmと進めない密度であることに変わりはなかった。
あれじゃプライベートな空間など、ほんのわずかもない。私なら耐えられない。

そんなこんなで時が過ぎ・・・。


鈴虫の鈴虫たる所以、鈴のような羽音が聞こえ始めた。
無事、羽が生えたようだ。
これで、間違って容器から逃げだしても、フナ虫と間違えて叩き潰す心配がなくなった。(いやフナ虫なんて自宅じゃ見ませんが。)
がしかし、何度も言うようだが、とにかく数が多い。
鈴虫はその習性から、一匹が鳴き始めると、他のオス達もつられて鳴き始める。そうなるとかなりの音量で、(綺麗な声ではあるが、)全く涼しさを感じない大合唱だ。寧ろ、暑苦しい。
最初の一匹が鳴き始めたときはちょっぴり感動した私も、同時に何百匹も鳴きはじめる頃にはもうどうでも良くなって、すっかり興味も失せていた。

そんなこんなで再び時が過ぎ・・・。


いつの間にやら五月蝿いほどだった鳴き声も途絶えがちになっていた。
死因の1位も「寿命」が「脱皮時の共食い」にとってかわり、用済みのオス達からバタバタ天に召されている様子である。先程久々に覗いてみたら、あんなに蠢いていた虫たちが残り20匹程度に減り、しかもその中でオスは一匹しか発見できなかった。
なお、補足情報として、一匹のメスが仲間の死骸をむしゃむしゃと貪り食っていたことをここに記す。その姿は、いつぞやのカラスを髣髴とさせた。
こうして今年の夏も終わりを迎えた。

去年→今年の計算でいけば、来年は1000匹を軽く超える黒いつぶつぶが生まれてくる筈である(怯)。
そんな大量生産の彼らも、小奇麗なスーパーで4匹630円で売られていたから、来年は100円ショップで虫かごを購入し、餌のナスを一切れ、サービスで鰹節も入れたって・・・・・・・軽く10万円以上は儲けることが出来そうだ。


【未確認潜伏生命体】
母親が花壇の蔭で白い幼虫を発見し、それを虫かごで飼い始めた。
何故そんなもんを飼おうと思いつくのか理解に苦しむが、まぁ家の中で飼おうという訳でもない、特に被害はないので、放置することにした。
母曰く、「何になるのか興味がある」らしい。

幼虫、と言えば、私にも強烈な思い出がある。
あれはもう20年ほど前、父方の祖父の家に遊びに行った時の話である。 我々兄弟は庭にあったミカンの葉に、アゲハの幼虫がついているのを発見した。
アゲハといえば、幼虫がミカンだとか山椒だとかにしかつかないというそのレアさ+成虫の姿の美しさから、その当時は「愛でるもの」と認識していたので、我々は喜んで観察したり、つついて橙色のツノを出させたりと遊び始めた。
そして、
「何を見ているんだ?」
という祖父の声に、「あ、ミカンにアゲハの幼虫が。」
嬉々として報告した私達の目の前で、祖父は、アゲハの幼虫を叩き落し、履いていた長靴であっさりとソレを踏み潰したのであった。

あ・・・・。


悲しくも嬉しくもない、ただ、ひたすら衝撃的であったその瞬間を、私は今でも鮮明に覚えている。


そんな強烈な思い出のあるアゲハ。
今年は我が家の山椒の木にもやってきた。
母が言うには、ある日気付いたら葉がぼろぼろになっており、探してみたところアゲハの幼虫がいたということである。がしかし、それを父に言ったところ、父はやはりその幼虫を叩き落として、踏み潰してしまったそうだ。

・・・血は争えないな。

と思ったが、その血が自分にも流れていることに、後で気付いた。
そんな哀れな最期を迎えてしまった我が家のアゲハだが、数日後母親が見たら、どうやらもう一匹いたらしく、それがいつの間にやら蛹になっていたという。
見てみるか?と聞かれたので、はぁまぁじゃあ見てみるか、と、山椒の木を覗き込んでみたら、確かに緑色の蛹が途中にぶらさがっていた。
この物体が、そのうちあの(近寄ってこない限り)綺麗な蝶々になるのかと思うと、非常に興味深い。知っているからそんなものだと思うが、知らなければ、その変身を「絶対有り得ない」と思うに違いない。それほど、その変化は劇的だ。これがアリなら仮面ライダーだってアリかもしれない。とにかく凄い現象だ。
そう思うと確かに、見つけた正体不明の幼虫が何になるのか知りたいという母親の気持ちも分からないではない。

で、思い出しついでに、軽い気持ちで「そういえば例の幼虫、まだいるの?」と聞いてみたところ、
「すぐに土にもぐってしまうのよ。でも、ちゃんと木屑を食べてるのよ〜、ほら、ここ減ってるでしょ?」と嬉々として話し始めた。
こちらも見てみる?と聞くので、一応礼儀として頷いてみた。
母親は、土の中に隠れている幼虫を探すべく、虫籠の蓋の取っ手を持って持ち上げた。
と、その時。

バシャン。

蓋が外れて、中身があたりに散乱した。落ちた先は、土やら植木鉢やらで、つまり虫篭の中身と同じ環境なわけである。
母親は少しの間、必死に探していたが、結局虫篭から落下した幼虫君は見つからなかった。きっと、母の観察した通り、すぐに土にもぐってしまったのであろう。


結局その幼虫が何だったのか知る機会は失われてしまったが、その時の母親の悲痛な叫び声を思い出すと、今でも笑いがこみ上げてくる。


以上が今年の夏の虫の思い出の数々である。


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