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電車が止まる



←表参道(半蔵門線)渋谷(新玉川線)→池尻大橋→三軒茶屋→駒沢大学→桜新町→用賀→二子玉川→


平成12年、2月4日。
時計の針が5時を指し、私はその建物から出た。
出た、のだ。
引き返した事など今まで一度も無かった。だが、その日に限ってドアの外に 猫がいたのだ。いや、いただけの事なら今までも何度かあった。だが、この日はさらに、ヤツは私の 顔を見て鳴きやがったのだ。「にゃー」と、それはもう、可愛らしく。 私は初めて引き返すという事をした。引き返して、常備しているキャットフードを引き出しから 引き出したのである。
この後はバイトの予定があった。だが、時間には十分余裕があった (食事する時間を含め、一時間強)。猫に餌をやる為に費やす時間なんて せいぜい5分かそこらだ。何の支障もきたさない・・・その筈だった。

新玉川線(半蔵門線)渋谷駅にて。
なんだか知らんが電車が止まっていた。停電、とか言っている。
「すぐに復旧する予定」らしいので、特に気にせず待っていた。アナウンス通り、5分も経たない内に 電車は動き始める。車内で、「ただいま半蔵門線内におきまして停電がありました。お客様には ご迷惑をー」とのアナウンス。そこはもう新玉川線の領域である。 言外の意味を察するに、「オレら(新玉川線) のせいじゃ無いぜぇ、あっち(半蔵門線)が悪ぃんだ」ということであろう。 (半蔵門線は、渋谷駅を境に新玉川線へと名前を変えるのである。)結構笑える。 だが、笑っていられるのもそこまでだった。
三軒茶屋に着いた、かと思うと、ひゅうぅ〜ん。車内の電気が暗くなった。こんなのハジメテだ。 ちょっとオモシロイんじゃないですか、コレ。
「暫くお待ちください」というので暫く待っていた。そのまま待っていると、「代替えバスが出ています」 と言う。そのアナウンスでドッと人が流れ出た。
混んでいるのは嫌いである。また、どうせ電車もそのうち動くだろう、とふんでいた事もあり、 私は電車の中に留まった。 日常から外れた出来事が起こった時に、ベストを尽くそうとして動きまわった結果 ワーストに終わる事が多い、という自身の経験から考えても、それが正解だと思えたのである。
しかし、またしても私は選択を誤ったらしい。
数十分待機した結果、「復旧には時間が掛かるかもしれない。」という情報を入手。
三軒茶屋と駒沢大学の途中で、架線が切れたらしい。つまり・・・ あと2、3本後の電車だったら他の路線を使って目的地まで行く事が出来たし、 あと2、3本前の電車だったらそもそも こんな事に巻き込まれる事もなかった、という事か。
2、3本前の電車・・・それはまさに猫に餌をあげていた分の時間である。 陰謀だ・・・と呟く。
二子玉川から先は折返し運転をしているらしいが、とりあえずそこまで行けないことには どうしようもない。
遅まきながら、窓口でバス券を貰い、バス組に参加。しかし、人の流れがあるにも拘らず、バス停の位置を 見つけ出すのに右往左往。やはり情報収集能力が劣っているようである。
ようやくバス停への流れに乗った時には予定より40分くらい遅れている、くらいであったか。 そのまますぐにバスに乗れれば、遅刻せずに済む。
しかし、そうすんなりと事は終わってくれなかった。
長い。
ひたすら長い。
列はこんなにも長いのに、バスは来ない。
臨時バスが出ている、と係の人は言っているが、そんなもの来やしない。
来るのは既に満員状態になったバスだけで、それすらもなかなか来ない。
無論、それはその係の兄さんの所為では無いし、その事に対してイライラする事は無かったが、 私には予定があるのである。
ところで、私はいくつかの理由から携帯電話を持っていない。
さらに、私はいくつかの理由から手帳も持っていなかったりする。
つまり、バイト先に連絡する手段が無かったのである。
しかしまぁ、無いものは無い。仕方が無い。待つしかない。

待つ

さて、こういう時、人は他人と話したくなるらしい。
非日常に放り出されると、人恋しくなる、と言う事か。
あちらこちらで知らない人同士が話をしている。
私の傍でもおばさんが三人程かたまって話を始めた。
「来ないわねぇ、バス」
「説明して欲しいわね。」
「どうしようかしら。」等々。
大して意味の無い会話が延々と続く。
道路脇なので車の音がうるさく、MDは聞く事が出来ない。 そんなうるさい中、私の耳まで届く音といったら、 おばさん達の声くらいだ。
無為な時間が過ぎて行く。
寒い風が吹き抜けて行く。
列はそれでも少しずつ少しずつ縮まり、漸くバス停が見えた。 その時、待ちに待った空のバスが来た。臨時バスである。 どばーっと前の人々がバスの中に詰め込まれて行く。これに乗る事が 出来ればギリギリ時間セーフかも。
しかし、上品なー押しの弱いー私の目の前で、無情にもバスの扉は閉められたのであった。
・・・・・・・・それからが長かった。

待つ

バスが来ない。
二台ほど来たが、二、三人しか乗れない既に満員の「それ」に、上品なー押しの弱いー私が乗れる筈も無く。

待つ
既にバイトの予定時刻は過ぎている
寒い

三台目。
ぷしゅー。超満員状態のバスは、前と後ろのドア両方を開けるのだが、前が一人も入る余地が無かった のに対し、後ろのドアからは何人か乗れたらしい。そこに乗ったのは列の一番前の私とその周辺、 ではなく、たまたま後ろのドアの近くにいた人々であった。
バスが行ってしまった後、私の後ろのおばさん三人組が整理係に文句を言い始めた。
「私達の方が前に並んでいるんだから。並んでいる順に乗せてよ。」
もっともな意見である。私は横でうんうん、と頷く。整理係のあんちゃんもスミマセンと謝った。

待つ
寒い

漸く到着したバスは、またしても超満員状態。今度は前のドアからしか入れないらしい。
・・・・・・私は驚きましたよ、いや、まったく。
自分の目を疑いました。私の後ろにいた筈のおばさん三人組が入って行くではありませんか。
「並んでいる順に乗せ」ろと言ったのは何処の誰ですか?っていうかそこの君等でしょう。
しかし、おばさん達のうち一人は、乗り切れなかった。頑張ったのだが、無理だったようだ。
「次のバスにしてください。」係員に言われて、彼女は苦笑して降りた。
ちょっとだけ(ざまあみろ)、と思った。
閉まった扉の向こうから、先に乗ったおばさんが手を振る。これで彼女たちの友情は 終わりである。いや、もともと他人同士だったみたいだけど。

待った
寒かった

バスが来た。超が付かない満員状態である。ようやく、乗れるようである。先程のおばさんと一緒に、 私はバスに乗り込んだ。ふぅ。

途中で割と大きな荷物を持ったお婆さんが乗り込んでくる。学生さんが荷物を 運び入れるのを手伝ってあげていた。うん、エライエライ。お婆さんは数個先の停留所で降りようとした。 なんとなく位置的に、もしかして私が手伝わなくちゃいけない?的な感じだったので、 先程の学生さんの真似をして運び下ろすのを手伝った。エライエライ。
お婆さんは笑顔で、「スミマセンネェ、誰も手伝ってくれないから」と言った。
それは違うんじゃないか?と思った。
それは私への感謝じゃなくて、他の人への皮肉ですよ。
いや、別に感謝されたくて手伝った訳じゃあ無いけどさ。

後ろのドアしか開けなかったとある停留所にて。
高校生くらいの男の子が前のドア付近をうろついた。
「後ろから乗って下さい」
と運転手が言っても、挙動不審な感じでバスから離れようとしたりまた乗ろうとしたりする。 挙げ句の果てに前のドアをノックする。
「後ろから乗って。」
再び運転手が言うと、
「いや、違うんですけど。」
何が違うのかは彼の手の中を見てすぐに分かった。
彼はお金を払おうとしていたのである。
「払わなくていいんですか?」
「あーいらないよ。」
ドア越しの会話の後、彼は去って行き、バスは発車した。
「今時、感心な子だねぇ」
「教育が良かったんだねぇ」
運転手と傍にいたオジサンが言った。
私の心も少し暖まった。

電車が止まる、という異常事態で、 普通では有り得ない「赤の他人との心の交流(?)」みたいなものを感じたりするという点では 面白い経験が出来た、とも思う。
しかし、 電車一本動かないくらいで、こんなにも自分の行動が制限されてしまうのか、と考えると、何やら 怖いような気もする。空(から)のタクシーは来ないし、他の移動手段も無いし。 勿論、やる気になればタクシーを呼ぶとかヒッチハイクするとか、何か方法はあるのであろうが。
文明のー機械化世界の落とし穴だ。
ちょっと雄大な事を考えてみたり。

そんな高尚な思索を続けているうちに、バスは二子玉川駅に到着した。
結局3時間のロスで、それはそのまま電車に乗って復旧を待っていた 場合と殆ど変わらない時間だったりする。(←この後、二子玉川にて 『もうすぐ復旧』とのアナウンスが入った。寒かった分、最悪な選択をしたらしい。) 今更ながら、バイト先に連絡してもらう為、家に電話をかけようと思う。
今の時代、携帯電話が普及している。公衆電話を使う人間は少ないようである。
数メートル先に発見した電話ボックスは、誰も使用していない。
さて、

と、目の前でスッとその公衆電話に入った人が。
それは先程の一人乗り遅れてざまあみろ、と思ったオバチャンであった・・・。

<終>

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