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クリスマス


私は今の所 無神教信者ですが、この文は特定の宗教を批判、中傷するものではありません。(のつもり)

ジングルベ〜ル、ジングルベ〜ル、す、ず、がぁ〜鳴るぅ〜♪
今年もクリスマスの季節がやってきた。
そう、それは最早、春夏秋冬と同等の、ひとつの季節と言って過言ではない。
敬虔なキリスト教徒なんていくらもいないかもしれないこの近代適当国家日本においても、 この時期、どこもかしこもTVの中も、クリスマス一色で染まっている。
いや、赤と緑と金だから、三色か。
クリスマスソングが流れ、人々は意味も無く(そう、実際に何の意味も根拠も無い)浮かれて、 ちょっとだけ良い予感を勝手に感じて希望を持つー何の意味も根拠も無いのに。
だが、その意味も根拠も無い思い込みが集結した結果、 確かに街の雰囲気は少しだけ柔らかくなるような気がする。
恋人達が互いに微笑み見詰め合いながら手をつないで歩く、豆電球の街。
さて、この色とりどりに点滅する豆電球は、私の超美的感覚から見ても十分鑑賞に堪えうるもの であるのだが、私は明るくなった街を見る度に、その光が作り出した影の部分をも見せ付けられている ような気がしてならないのだ。(妄想か?)
光ある所に影あり。
つまり、「クリスマスの存在が、無駄な電力消費を増長しているのではあるまいか?!」
クリスマス、つまり キリスト教の存在が、地球の(というより地球上生物の、か?)寿命をどんどん短くしているような 気がしてならないのだ。(事実そうなのであろうーそれが一般生活における電力消費量 に対し取るに足らない量だとしても、だ。 ちなみに某ネズミ王国のエレクトリカルパレード(今はファンティリュージョンだったか)を 見る時も同じような事を考える。)
確かにクリスマスという毎年行われる一大イベントは 景気回復に少しは貢献するのかもしれないが、その代わりに地球の貴重な資源を貪り、 無駄な熱を大気中に放出しているのである。環境破壊という取り返しの付けにくい大きな害悪に対し、 景気の回復、もしくはその場の雰囲気の心地良さ なんていう、長い長い歴史から見ればほんの一瞬の瞬きにも満たない程の快楽を得るために、 このクリスマスというイベントは存続しているのである。
もっとも私は、その「一瞬の瞬きにも満たない」程度の時間しか生きられないので、景気の回復も 大切だったりするのだが。
いや、そんな弱気になってはいけない。
私はここに、断言・・・しようかなぁ〜、なんて少しだけ思っちゃってみたりする。
(最近宗教が怖いので何となく弱気)

キリスト教は個を助け、公を殺す存在である

大体、キリスト教が無かったら存在しなかった戦いなんて、いくらでもあるんじゃないのか?
もっともその場合は違う宗教が蔓延ってその原因となっていたのだろうけれど。

キリストは立派な人だったかもしれないし、クリスマスというものがその宗教的意味合いを無くし ただのイベントに成り代わってしまったのは別にキリスト教そのものの責任では勿論無いのだが、 キリストが存在した、という事実が原因(責任は無くとも)となった悲しむべき出来事は いくらでも存在するのだと思う、無駄な電力消費も含めて。

クリスマスで街が輝くこの季節、 幽霊は怖いが神をも畏れぬ不遜な私は、滅亡の危機に瀕した人類が、 諸悪の根元はキリストである、なんて言いだす日を想像して、ひとりニタニタしてみるのである。


そこっ!!どうせクリスマスに除け者気分を味わう 独りモンのやっかみだろう、とか言わない!!

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