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クリスマス2

さて、今年もクリスマスがやってきた。
別に驚くべき事ではない。
毎年毎年、無重力の日(6月16日)がやってくるのと同じように、 毎年毎年、12月24日クリスマスも当たり前にやってくるものなのである。
にんにくの日(2月29日)の方が余程貴重である。

そんな当たり前の一日のうちの一つに過ぎないのに、懲りもせず 「彼女にダイヤの指輪」とか「彼にブランドネクタイ」とか幸せボケした顔で 一年のほぼ1/12もあるクリスマス商戦にのる愚民共。

そんな一人に、私もなりたい。(宮沢賢治風)


・・・という心の叫びはさておき、クリスマスというと、まず思い浮かべるのが チキンである。
この日が存在するお陰で、日本中の何万羽という鶏が殺され(ちなみにアメリカではターキー=七面鳥を食べるのだが、七面鳥は鶏より大分デカいから、非殺害数も 幾分か少ないのだろうか?)、 人々の胃に収まるわけである。恐ろしいことである。
私が鶏なら、キリストは救世主どころか大虐殺を誘引した張本人であり、呪うべき存在である。
・・・無論、かく言う私も鶏では無いため、食卓にチキンを出されれば涙無しにそれを食べることが出来る人非人である。・・・人でもないのか!?


とまあ、あまり考えると悲しくなってしまうので、話題を変えようと思う。
さて、では私のとっておきのクリスマス話でも披露することとしようか。


それは、数年前のクリスマス直前の、とある日。
私は、渋谷はハチ公前の、恋人達がうようよと蠢いているきらびやかな空間にいた。
無論、ハチ公前の宝くじ売場で、「年末ジャンボ」を買うためである。
流石に上空5m付近からの客観的視点で見てみると、自分が哀れな気がしないでも なかったが、「買ってもあたらないかも知れない、でも、買わなきゃ絶対あたらない」 という売り文句に見事のってしまった私は、心持ちこそこそと身を小さくして 宝くじ売場の前に立ったのであった。
「連番で十枚くださーい」
だが、その小心者行動がいけなかった。
宝くじを買った私は、そそくさとその場を離れようとして、「そそくさしすぎ」 た結果、買ったばかりの宝くじをその場にぶちまけるという醜態を、衆人(主に 恋人達だ!!)の目に晒す羽目となったのであった。
人に踏まれた宝くじを「すみませーん」と言ってしゃがんで引き抜く切なさを 思い出すと、今でも鳩尾の辺りがきゅうとなる。
当然、その時買った宝くじは、5等以上の番号にかすりもしなかった。
切ない。


まあこれが一番切ないクリスマスの思い出なのであるが、今年もまた、 ささやかな良き思い出が出来た。
つい数日前の会社での出来事。
チームでの忘年会もやりましょうよ、という先輩の提案。
「でも、あまり日にちが無いよね〜。いつが良いかなぁ。」
「そうだねぇ、二十日は部全体の飲みだしなぁ。」
と、いうみんなの反応に、提案した先輩が言った。
「24、25、26あたりかなぁ?」
私はすかさずツッこんだ。
「いや、クリスマスだし。」
我ながら良いタイミングのツッコミだったのだが、それを聞いた部長が 余計なことを言いやがった。
「だよなぁ。普通、彼氏とか彼女とかいるよなぁ」
本当に余計な一言である。
しかも、二回も繰り返して言いやがった。
無論、私は他の人と合わせて曖昧に、「ハッハハハハハハハ」と笑っておいた。
内心「コノヤロウ」と思いながら。

さて、そんなこともあり、恐らく私は、チームの一部の人間からは「恋人のいる独身者」というカテゴリーに所属するものと認識されたのだと思う。
まあ私に恋人がいないのは私がモテないからではなく、私につりあうだけの人間が 未だ見つかっていないからだと私自身は自分に思いこませているのであるが、 がしかし、他人から「恋人のいる独身者」と見られるのも、そう不都合があるわけではない。
というわけで、とりあえずは「恋人のいる独身者」というレッテルを楽しもうと 思っていた矢先。

課長が私の席にやってきた。
「この間の仕事なんだけど、さっそく打ち合わせをしたいと先方が言ってきていてね。 この日なんだけど、どうかな?早く帰らなきゃいけないとか、何時に誰々と待ち合わせ しているからそんな所まで行けないとか。」
いやにしつこく聞いてきたが、元から腰の低い課長なので、特に気にせずに 頭の中で自分の予定を思い出してみた。
(友人と会うのはその次の日だから、この日は確か予定はなかったよな・・・。)
「いや、全然問題ないですよ。」
私は普通に答えた。
「あ、そうですか(笑)。じゃあ、この日にうち合わせということで、よろしく。」
課長は去っていった。

「その日」がクリスマスイブであることに、暫くして私は気付いたのであった。
と同時に、課長が妙ににやにやしていた訳にも気付いたのであった。
早くもレッテルは貼り替えられたのである。
切ない。


クリスマスというのは、なんて切ない季節なんだろうか。
思い出が切ない。
そのうち、一人でピザを二人分頼みかねない自分が切ない。
山下達郎の「クリスマス・イブ」が、この季節毎年毎年ゾンビのように チャートインするのが切ない。
雨は夜更け過ぎに雪へと代わるだろう。
だがその雪も、昼頃には雨へと代わるのだろう。

こんな風に、私のクリスマスはどこか切なく、そしてどこからみても、コントである。
毎年増え続ける小ネタが、同じ様な独り身の友人達を楽しませることだけが、 私のささやかなクリスマスの楽しみである。

世界中の鶏たちに幸あらんことを。
メリークリスマス!

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