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『デニーのっ』へようこそ


親しき中にも礼儀あり、ということわざがある。
どんなに親しい間柄でも礼儀を失ってはいけない、という意味だ。そのままだが。
親しき中にも必要な礼儀。他人同士ならなおさら、それは必要だ。
もっとも、他人の場合、礼儀だけで良い、という面もある。
例えば雑踏で肩がぶつかった、という時、「失礼」とか「すみません」とか 言うのは常識だし、また、無言だった場合は酷く気分が悪い。
だが、普通、そこに相手の気持ちまでは要求していないだろう。
本当に申し訳ありませんでした、なんて深々と頭を下げられても返って困惑してしまう。

そう、赤の他人同士の礼儀に、心は要求されないのである。

先日、ファミリーレストラン『デニーのっ』に行った。
『デニーのっ』の扉の前で、繋がれた犬を発見。ゴールデンレトリバーとかいうヤツである。
ハッキリ言って私は、秋田犬とかシベリアンハスキーとかの方が好きだ。
だが、まあ通り過ぎる時に少し撫でる程度の関係であればゴールデンレトリバー だって何だって構わない。大体他人の犬である。本当はどうでもいい。
そのどうでもいい犬の頭をちょこっと撫でると、彼(彼女?)は勢い良く尻尾を振った。
意外と可愛いじゃないか。
少し名残惜しい気もしたが、その名残とかいう代物を振り切って私は『デニーのっ』への扉を開けた。
「いらっしゃいませ、『デニーのっ』へようこそ。」
いつも思うのだが、ここのファミレスは割と教育が丁寧になされているようだ。
「いらっしゃいませ、『デニーのっ』へようこそ。」
「いらっしゃいませ、『デニーのっ』へようこそ。」
何人ものウエイトレスさんの声が、あちらからもこちらからも飛んできた。
「いらっしゃいませ、『デニーのっ』へようこそ。」
なんだか歓迎されているみたいだ。間違いなくそれは大きな勘違いであろうが。

暫しの時間、同行者と会話を楽しむ。
頼んだデザートは美味しかったし、コーヒーはおかわりして三杯も飲んでしまった。
もしかして、(こいつら粘ってんな。)とか思っていた?ウエイトレスさん。
えへっ、ごめんね。でも幸せな気分。

幸せな気分のままレジへと向かった。
ところで、どうでも良い話だが、レジとはレジスタンス(resistance=権力に抵抗する運動)の略 ではなく、レジスター(register=金銭登録機)の略である。本当にどうでも良い話だ。
さて、レジへ向かう間に、私は再びウエイトレス達の注目の的となったのであった。えへん。
「ありがとうございました。また『デニーのっ』へお越しください。」
そして、
「ありがとうございました。また『デニーのっ』へお越しください。」
「ありがとうございました。また『デニーのっ』へお越しください。」
さらに、
「ありがとうございました。また『デニーのっ』へお越しください。」
傷が付いたCDか、アホな九官鳥にでも囲まれているかのようだ。
同じような格好(無論、制服着用であるせいだが)に全く同じ台詞を繰り返されると、 ひどく不自然な感じがする。東京ネズミー王国のアトラクション、『それは小さな世界』で我々を 出迎えてくれる、ちょっと可愛くてかなり不気味な歌う人形達を思い出してしまった。

赤の他人同士の礼儀に、心は要求されないーというのは嘘じゃないと思う。思う、 が、ここまで機械的なマニュアル台詞はどうかと思う。これがもし、「いらっしゃいませ」や 「ありがとうございました」 等の短い言葉であったのならばそれ程気にならなかったであろうが、なまじ丁寧な心のこもって いそうな台詞だけに、その正確な繰り返しはとても違和感を感じさせた。
私は思わず唇の端を少しだけ持ち上げ、皮肉屋の笑いを作ってしまう。
その顔のままファミリーレストラン『デニーのっ』を出た。
と、花壇の影からゴールデンレトリバーの尻尾がのぞいているではないか。
まだいたのかい?この寒い冬に、こんな長い時間・・・。
まったく、君の歓迎の仕方の方がよっぽど素直で心がこもっているよ。
私は再び他人の犬を撫でようと花壇に近づいた。

それはゴールデンレトリバーの尻尾ではなく、枯れた芝であった。

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