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日記

あの、多くの人々の人生を変えた、運命の日。
私は一体何をしていたのだろうか。
何も知らずに、いつものように自分の部屋でひたすら眠りを貪っていたのか。
それとも、会社でPCに向かいひたすら仕事をしていたのか。
あるいは、あー面倒だナァと思いながら知人に会いに出掛けていたのか。


それを調べるのに役に立つのが、この追憶補助アイテム。
「日記帳」
今回の主題である。
人によっては自省を促す生活向上アイテムともなりうるし、 また、人には言えない悪口雑言を書き連ねてストレスを解消するための癒しアイテムともなりうる。 あるいは自称天才達の寝覚めのヒラメキメモにもなりうる。
そんなお役立ちアイテムである。


実は恥ずかしながら、ワタクシ、ここ数年、毎年、1年間用日記帳を買っています。

いきなりですが、設問1:この一文から推測される事柄を自由に挙げてみよ。
文章読解力が試される場面だ。
ワタクシは恥ずかしがりやさんなんだな、とか、ワタクシは少なくとも1歳児よりは年上なんだな、とかも、まぁ正解なのだだが、
「ここ数年、毎年、1年間用日記帳をつけています」
ではなく
「ここ数年、毎年、1年間用日記帳を買っています」
と書いているところから、
『こいつ毎年買うだけ買って、いつも続いていないダロ。』
ということが読み取れはしないだろうか。

正解である。


実際にここ数年の日記帳を掘り起こし、何月くらいまで続いたのか確認してみた。
去年は確か6月半ばくらいまでだったか?と思ったが、見たら5月の途中から空白だった。
一昨年は感心にも12月半ばまで、ポツポツとサボりつつも続いていた。
その前の年は・・その辺りから買っていたと思ったが、実はその年もその前の年もなくて、 さらにその前の年の日記帳が出てきた。こちらも12月まで続いている。
意外に頑張っている。
いやぁ、記憶って、あやふやなもんですな。

その曖昧な記憶を確実な記録に変えるのが日記。
(ちょっと流れが強引だろうか。)
その記録を紐解いてみる。

2007年1月18日
「あひると風呂。
シャワー。改札みたいなところ。お金払う。
詐欺なんだよ、みたいな。」

どうやらそんな平和な夢を見たらしい。

2007年2月14日
「春一番。感知せず。
風呂吹き大根、美味。玉ねぎ水菜サラダ。」

春一番に気付かなかった己の迂闊さへの後悔が滲み出ている。

ついでに去年最後の書き込みページの内容は以下の通り。
2007年5月19日
「賞味期限切れのカップラーメンを貪り食う。」


・・・危ない危ない、去年のうちに死んでいたら、人生最後の日記のページが
「賞味期限切れのカップラーメンを貪り食う。」
になるところだった。
まぁ別にそれはそれで良い様な気もするが。


こんな風に、日記の中の私の時間は賞味期限切れのカップラーメンで止まったまま、めくってもめくっても、もう後は白いページだけ。
というロマンチックな状態になっていたわけだが、まぁこれには深い意味があって、常に心は真っ白に、という自分への戒めだとか、 便りがないのは良い便り、の類なんだとか、それから先どうなったかはまた別のお話、というある意味責任逃れのエンディングの真似だとか、イヤ勿論全部嘘なんですけれどね。忘れていただけなんですけどね。

そんなありふれた前科を持つ私ではあるが、去年の12月31日、何とはなしに買い物に出掛け、ついでに本屋に寄り、懲りずにまた日記帳を買ったのであった。
年々エントロピー増大の法則が働いて、今では
12/31 - 12/30 = 1/1 - 12/31
の等式が成り立ってしまいそうなくらい新年の感動が薄れてしまっているような気がするが、まぁ心機一転のフリくらいはやってみても良い。
というわけで、1月1日の夜、真新しい日記帳に書き込んでみた。

1月1日。
「近所の神社に初詣に行く。」

書きながら、ちょっと考える。
そういえば、1月2、3日と、親戚の家に泊まりに行くんだった。
2日の朝から出るから、2日に日記を書くチャンスなどないだろう。ということは。

1月2日
「叔父の家に行く。おせちを食べる。未来予想図。」

ついでに2日の分も書いておいた。
こんな風にやる気のないスタートとなってしまったが、今年はいつまで 続けられるのだろうか。


日記に書き残したくなるようなオモシロ出来事が色々起こってくれると良いなと、他人任せなことを思う。

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