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地球儀パズル

一年半ほど前の話になる。
とあるデパートで、私は地球儀パズルを見かけた。
通常の平面パズルではなく、組み立てると球ーーまさに地球儀になる、という 画期的なパズルである。
「まぁ良いんじゃない?」が口癖のおおざっぱな私ではあるが、ちまちまと無心に何かをやるのは嫌いじゃない。加えて地理にはめっきり弱いが地球儀のデザインは大好きなので、この製品は私のピュアハートを直撃したわけである。

種類は240ピース、540ピース、960ピース、1500ピースの4種。
どうせやるなら一番ピースが多いヤツ。でないと、せっかく完成させても、 「え、何おまえ、960ピースしかやってないの?俺なんて1500を完成させたんだぜ」という人がいた時に、無駄な敗北感を味わうことになる恐れがある。
というわけで、選択したのは1500ピース英語版。
英語版を選択したのは日本語で「ロシア」と書いてあるよりアルファベットで「Russia」と書いてあるほうがカッコイイと思ったからだが、良く考えてみれば全世界でアルファベットが使われているわけではない。中国人だって自分の国を「People's Republic of China」と呼んだりはしない。日本語と英語はこの場合対等である筈だが、思わず英語を選んでしまったのも、英語コンプレックスの影響かもしれない。
価格は15540円。玩具としては結構値が張る。
が、他にお金のかかる趣味を持っているわけでもない、これで人生の数時間をーーもしかしたら数十時間を、楽しく過ごせるなら安いものではないだろうか。

というわけで購入し、早速箱を開ける。
ジャラジャラとプラスチック製のピースが入っている。
その中から1ピースを取って手の中で転がす。
箱の説明を信じれば、全部で1500ピース。
価格が15540円だったということは、この1ピースで約10円か。チロルチョコが買える。
10ピースで100円。雪見大福が買える。
厳密に考えると消費税がかかるから、11ピースくらい必要か?

このプラスチック群を買う金があるなら、雪見大福が148個買えたかと思うと、 ちょっと勿体無かった気も、一瞬した。

が、既に開封済み。15540円で購入した商品は、私の手を通すと商品価値が下がるそうである。
私の指紋つきというプレミアが付いて価格が上がっても良いくらいなのに、と少々不満に思うが、世の中の仕組みに私だけ逆らうわけにもいくまい。
諦めて取り掛かることにする。

ぱち。ぱち。ぱち。

白い南極大陸から始める。
数日かけて南極大陸制覇。ふふん。簡単なものだ。

次に陸地に取り掛かる。
陸地は国で色分けされてあるので比較的楽である。
もし世界がひとつになったら、このパズルの難易度もグッと上がるに違いない。
まぁ、今のところ、朝鮮半島だけでも二色で色分けされていることだし、 もしいつか世界が統一されるとしても、それはだいぶ未来の話になるだろう。

ぱち。ぱち。ぱち。

ロシアは橙。アメリカは黄色。日本は緑。
世界には190程度の国があるそうである。
きっと言える国の数なんて半分くらいだし、位置が分かるのはそのさらに半分・・・もなさそうだ。
陸地は比較的楽、とはいうものの、やはり基本的な場所が分からないとどうしようもない。というわけで早速本棚に埋もれていた地図帳を取り出した。
日本の北にあるのはソビエト社会主義共和国連邦だが、まぁ少しは役に立つだろう。
世の中には私のような人間も多いのだ。紛争が起きたり侵略が起きたりで国境が変わったからと言って地図屋さんが儲かると考えるのは短絡的というものだ。
でもまぁ、多少は儲かるのかもしれない。実際のところ。

ぱち。ぱち。ぱち。

時々うまくはまらないピースがあるので強く押してはめこむ。これが実際の地上だったら大災害である。
時々似たピースを間違えてはめるときがある。線が揃わないので間違えたと分かるが、これが実際の地上だったら、国が入り乱れてちょっと面白いかもしれない。
アメリカ合衆国、ついにアジアに進出。とか。

ぱち。ぱち。ぱち。

北方領土を見てみると、色は日本の緑色で、横に括弧して(Rus. Occ)と書いてある。
OccはOccupiedだろう。ロシアから抗議が入っていたら面白い。
じゃあ竹島は?と思って見てみたが、小さすぎて載っていなかった。
載っていないなら日本からも韓国からも抗議は入らないだろう。
うやむや、というのは、時に平和的解決手段だと思う。
そういえば私も、漢字テストで点が付くか付かないか分からない漢字の場合は、一度点を書いて消しゴムで薄く消して、どっちつかずにしてみたっけ。
尤も、大体の場合、×になったが。

ぱち。ぱち。ぱち。

考えてみれば、パズルというのは不思議なものだ。
何故わざわざバラバラにされた部分から、時間をかけてひとつの図を完成させねばならないのだろう。しかもそうやって完成されたものに意外性はゼロで、しかも価値は殆どない。
例えばこの地球儀パズルの場合、ただ単に地球儀が欲しいのなら普通の地球儀を買えばよいのだ。誰もデコボコした、いつ壊れるか分からない地球儀など欲しくないに違いない。
恐らくパズルと言うのは、徹頭徹尾、経過を楽しむものなのだろう。
・・・とはいうものの、これが終わりのない無為な作業ではなく、経過の延長線に終着点が存在しているからこそ、楽しいのだろう、とも思う。
最後の1ピースをはめる、その瞬間。
ひとつの矛盾もなく世界が完結する、そのカタルシス。

その日を想像して時々にやにやしながら1人黙々とパズルを続け、陸が3/4くらい完成したある日。
兄夫婦が家に遊びに来た。
夕食の時間までは中途半端な時間がある。
母親が言った。
「皆でパズルやってきたら?」

正直言って、ちょっと泣きそうな気分になった。

昔から、かけっこで自分が一等賞になるのは嬉しくても、チームが優勝するかどうかには大して興味がなかったような孤独を愛する人間である。15540円も出したのに、これで、完成の瞬間、「「自分が」やったんだ。」という達成感が味わえなくなったのかと思うと、なんだかげっそりした。
無論パズルであるから、もう一度バラバラにして最初からやりなおすという解もある。
が、バラバラにしたところで、元の何も知らなかった自分には戻れない。
私は既に、ロシアが橙でアメリカが黄色で、日本が緑であることを覚えてしまっているからである。
ちなみに中国はピンクでカナダもピンク。インドは黄色。
オーストラリアは黄色、ブラジルは橙。アルゼンチンは緑色だったか。

そんな風だから、もう、始める前の私に戻るのは無理なのである。少なくとも数ヶ月、もしくは数年は無理である。
とはいうものの、外聞を気にする私としては、「全部自分でやるんだったら!手を出すなコノヤロウ!」と駄々をこねることも出来ない。
仕方が無いので、「じゃあやろうか。」と多少引きつった顔で誘うことになった。

ぱちぱち。ぱちぱち。

流石に3人だと、1人でやるよりもペースが上がる。
青(海)以外の色の付いたピースはどんどん少なくなり、結局、その日、陸地がほぼ完成したのであった。

海は地球の表面の約7割を占めるという。
ちなみに調べてみたところ、人体(成人)の約6割を占めるのは水分であるらしい。
何かのCMか番組で、「知っていますか?地球と人体の水分の割合は同じ。」みたいなフレーズを見たか聞いたかした記憶があるのだが、大嘘であったわけである。
人の言葉を鵜呑みにする輩は少なくないから、こういう非科学的な「この世の神秘」を気軽に公共の電波に乗せるのは止めて欲しい。ちなみに私も、先程までは信じていた。

・・・たった今、騙された腹立たしさで、「大嘘」と言ってしまったが、実際のところは、大嘘と言う程ではない。人間も、幼児の頃は水分が多く、実際70%程度の高い値であるらしい。それが年を取るにつれ、60%になり、50%になり、最終的には0%になる(※)わけである。(※日本以外では違う国もあるらしい)
地球の砂漠化。人体の砂漠化。悲しいものだ。

閑話休題。
陸地がほぼ完成し、海だけ残ったその地球儀パズル。
ということはまだ、1000ピース程残っているということだ。
まだそれだけの楽しみが残っている。・・・とはとても思えない。
これは既に、他の人間の手が入ってしまった代物であり、これを続けたところで 得られるのは何かすっきりしないもやもやした達成感だけなのだ。
そう思うと、どうもやる気が出ない。
これは楽しむために買ったもので、もし楽しみが得られないならやらないほうがマシというものだ。というわけで、その日から私はぱったり、その地球儀パズルに手をつけなくなったのであった。
私が放置した地球儀は、それから暫く母親がやっていたようだが大して進むでもなく、いつの間にやらダンボールに入れられて仕舞われてしまった。


そして約一年が過ぎた。
唐突だが、もし今、苦しい想いをしている人がいれば、どうかこの言葉を思い出して欲しい。

「時間は全てを癒してくれる。」

分かりやすく言い換えると、時間が経つと人間、何でも忘れていくものである。
一年ほど前に少し覚えた古代エジプト文字を、今は全く思い出せないのと同じように、 地球儀パズルを見る度に感じていた脱力感も、いつの間にかどこか遠い感情になっていた。
というわけで、私は「二度とやるか」と思っていたパズルを、もう一度始めることにしたのである。まぁ暇だったわけである。

ダンボールから、いくらかつながって丸みを帯びた塊と、まだばらばらのピースを取り出す。
ばらばらのピースの一部は、上箱と下箱が同じ向きで重ねられたパズルの箱に入れられていて、他に2つのビニール袋に分けて入れられていた。
どうやら母親が片付けるときに、分類を壊さないように分けて仕舞ったらしい。
早速床に広げる。


ぱちぱち。ぱちぱち。

再び始まる、孤独な夜。
休日は昼間から(笑)。
缶チューハイ片手にCDをかけ、痛む腰をさすりながら青いピースに目を凝らす。
ストイックな作業だ。
この作業のどこに楽しみを見つけられるのか、己の事ながら不思議である。

ぱちぱち。ぱちぱち。

慣れてくると、海のピースも緯度経度線や赤道線や何だか分からない白い点線が入っていて、それなりに違いがあるのが分かってくる。

ぱちぱち。ぱちぱち。

水色と深い青と点線入りと実線入りと両方含まれているのと・・・と分類したピースをあぁでもないこうでもない、と手にとって試してみる。
おかしい。
明らかに文字が続いて入るはずなのに、ピースが足りない。
ここだけではない、あそこも間違いなくマークの片割れが入るはずなのに、そんなピースはどこにもないぞ。
もしや、ピースが足りない!?
ピースの足りないパズル。
私の人生はまるでピースの足りないパズルのようだ。
私の答案用紙はまるでピースの足りないパズルのようだ。
部長の頭はまるでピースの足りないパズルのようだ。
見逃しているだけの可能性もあるので、暫く続けていたが、やはりどう考えてもピースが足りない。
ダンボールの中を覗いたり、箱の下を覗いたりしてみたが、見つからない。
さんざん探した後、まさかなぁ、と呟きながら重ねられた箱の上の方を持ち上げたら、 間に20ピースくらい挟まっていた。

||________||
|__________|<-ここに入ってた!

誰だこんな手の込んだ罠を仕掛けたのは。

でもまぁ、ちょっと面白かったから良しとしよう。
気を取り直して、続ける。

ぱちぱち。ぱちぱち。

左手に缶チューハイ。右手に青いピース。

ぱちぱち。ぱちぱち。

左手にワインが入ったグラス。右手に青いピース。

ぱちぱち。ぱちぱち。

左手にジンが入ったコップ。右手に青いピース。

ぱちぱち。ぱちぱち。

オセアニアも地球連邦に併合。
ハワイも配置完了。
大きくいくつかに分かれていた地球儀も結合され、未だ歪ながらひとつの丸となる。
残りは100ピースを切った。
後は時間の問題だ。


そんなある夜、母親が私に向かってにっこりと無邪気に笑って言った。
「地球儀出来たわよ。」

勿論私は、笑うより他になかったのである。

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