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エコ〜地球の未来のために〜

昨今、環境問題に注目が集まり、我々一般人の間でもエコ生活に対する関心が高まってきた。
そうは言うものの、実際に何がエコなのか、あるいはエコをどの程度優先させるべきなのか、まだまだ曖昧な点があるのも確かである。

エコポイントを契機に、まだ使える家電を消費電力の少ない機種に買い換えるのはどの程度エコなのか。
高速道路料金の引き下げと温室効果ガス排出量削減は、どうして同じマニフェストに記載できるのか。
少子化は確かに既存制度の維持や世界競争力の点から見れば問題だが、 しかし狭い日本本土の適正人口(※エコ視点)を考えると必ずしも悪ではないのではないか。

私自身エコに対してどう向き合っているかというと、 休日にもなれば明るい午前中は起きず、逆に深夜まで煌々と電気を付けて PCの前に陣取るような消費型現代人である。
ただし、なるべく冷房は付けずに消費電力の少ない(であろう)扇風機だけで粘って、 汗だくになっている。
・・まぁその程度の平均的エコ人間である。
ちなみにタダで配っていたマイバッグは時々使用するが、 店員との会話を極力避けたいので、マイ箸は持たない。
店員との会話を極力避けたいので、コンビニで「袋にお入れいたしますか?」と聞かれない限り、ビニール袋に入れてもらう。
・・まぁその程度の平均的駄目人間である。


エコといえば、過剰な包装や過剰なイルミネーションも大変、けしからん。
あんな、幸せカップルを楽しませるだけの眩しすぎるピカピカ電飾など、この世から消えてしまえ。

・・・・エコの話だったか。
会社でも、書類仕事の際に、強くエコを(正確にはエコでないことを)意識する。 書類の全てが無駄とは言わないが、私にとっては無意味と思える紙書類の、なんと多いことか。 書類そのものの大半が無意味である事に加え、それを印刷して紙で提出しなければならない理由が分からぬ。

無論、「紙」の全てが悪いわけではない。
本は電子書籍ではなくやはり紙媒体で読みたいし、 自分自身は興味がないものの、礼状や年賀状といった風習は 電子メールにはない素晴さがあると思う。

だがしかし、会社の重要ではない書類などは極力電子化するべきではないだろうか。

私の場合は、同じ書類を作成するに当たり、人より紙消費量が多くなってしまうという罪悪感もある。 その書類自体がくだらなく無意味と考えているのがどこかに表われるのか、 必ずどこかで間違えるのである。
しかも印刷して提出して人から指摘されるまで、その間違いには気付かない。
同じ数値が入るべき箇所に違う値が入っている。
今年の書類に去年の日付が入っている。
楽しようとして他の書類から一部コピペした結果、辻褄があわなくなっている。
自分でも不思議に思うほど、どこかで間違える。
先日は上司に、わざとやっているとしか思えない、とまで言われた。
そうやって指摘される度に印刷しなおすわけである。
私のエコ心はいつもじくじくと痛む。

さらには無事書類を完成させても、印刷設定という高いハードルも待ち構えている。
全く重要度の高くない印刷を片面印刷してしまうことも少なくない。
縮小割付印刷を設定したら、なぜか紙の左上1/8だけに ちっちゃく印刷された紙が大量に出てきた時は、流石に笑ってしまった。
エコ人間である私は無論、こうやって失敗した紙はなるべく裏紙として再利用するように心掛けているわけだが、わざわざ席から遠いプリンタのトレイに裏紙をセットしにいって、席に戻り印刷ボタンを押す際に裏紙設定忘れて普通に印刷してしまい、結局裏紙をそのまますごすご持って帰るなんてことも日常茶飯事。

すぐに使用するあてのない失敗紙は、机上の裏紙置き場に追加するわけだが、どう見ても需要より供給のほうが多い。
どんどん増えて、もうここだけ見ても地球上でゴミ問題が進行していることが分かると言うものである。


先日も私は、下らん書類の下らんミスを指摘され、 苛々しながら修正し、1ページだけを指定して印刷しなおした。
しかし、プリンタから吐き出されてきたのは指定した筈の1ページだけではなく全ページ。
しかも印刷しなおそうとしたそのページだけが妙に小さく印刷され、意図した体裁になっていない。

当然私は、
「自分は何も悪い設定をしていない筈だ。なんだこのプリンタは。」
と逆切れコメントをした挙句、
「裏紙として使えるから。あげる。」
と、近くにいた後輩にまとめて押し付けた。
だってエコ人間だから。


その『裏紙』が、実は裏紙などではなく、 よりによって部長が印刷した同形式の別書類だったということが発覚したのは、それから数分後の事である。

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