戻る

富士山に登る

富士山に登ることになった。

珍しく、積極参加である。
大学生の時分、長い休日の後、久しぶりに大学に行ったら筋肉痛になった程、運動とは無縁の私ではあるが、何といっても富士山である。
富士といえば確か日本一の山だった筈である。
日本一、と謳われるものは大抵の場合、世界一ではないわけだが、この富士山もご多分に洩れず、世界高さランキングでは29位と振るわない成績である。 グローバル化が進む今日、日本で一番高いからといってその地位に甘んじ続けている富士山もどうかと思うが、まぁ、いい大人がそんな文句を言うのも、それはそれでどうかという気もするので、とりあえずは富士山の高さに感心しておくことにする。

実際のところ、世界で29番目だとはいっても、富士山はやはり高いのだ。
その高さ標高3,776m。
もし私が3000人いて、縦に肩車していっても、富士山には遠く及ばないということか。
ちょっと悔しい気もする。

が、私には身長がなくても頭がある。そこが私と富士山の違いだ。
たとえ、いくら牛乳を飲んでも、私は富士山の高さまで伸びることが出来ない。
だがしかし、そんな私でも、日本一の富士山を見下ろしてやることは可能なのだ。
あまつさえ、この両の足で踏みつけてやることだって可能だ。
そう、私が、富士山に、登ればいいのだ!!このコペルニクス的発想。かなりどうでもいい。

というわけで、会社の同期が立てた計画に乗ったのであった。ちなみに都会からバスで5合目(標高2,400m)まで連れて行ってくれるツアーである。楽できるところは楽する。 例え富士の半分しか自力で登っていなくても、頂上を踏みさえすれば、それで富士山を征服したことになるのだ。

ところで、富士山は英語で言うと、Mt.Fuji。
富士山 → 富士+山 → Fuji+Mountain → Mt.Fuji
わかりやすい流れである。
ということはだ、この式で言うと、茨城県の女体山は、
女体山 → 女体+山 → Nyotai+Mountain → Mt.Nyotai
となるわけだ。だから何、というわけでもない。
でもちょっと、「女体」と「山」は分割して欲しくない気がする。

午後2:00
とうとう山登りツアー御一行様の、登山開始である。
到着前のバスの中では、「決して無理をしてはいけません。自分のペースで歩くように」と、添乗員がアドバイスをくれた。が、出発地点についてみれば、総勢78名にも及ぶ団体(ツアー客)がアリの行列のようにぞろぞろと並んで進むのだという。勿論、山ガイドさんを追い越すのは禁止。こんなツアーでどうやって自分のペースを保てというのだ。

しかも、登り始めると同時に、雨が降り始める。
日頃の行いが悪かったのは誰だ?と周りの人間を見回す。
あいつか?それともこいつか?
77名も候補がいるので、特定は出来なかった。

6合目。そして7合目。
山登りは惰性のように続き、雨は一層激しくなる。
上へ上へと進もうとしているのに、何故、天は我らを下へ下へ戻そうとなさるのか。
上から降ってくる雨を恨めしげに見上げられたのも始めのうちだけ。
さらに激しさを増した雨はレインコートを打ち始め、人との会話にも差し支える程である。とても顔を上げて歩けない。世間に顔向けできないことなど、一度としてした覚えはないのに。・・・もしかして覚えてないだけなのだろうか。
それでも、『一生に一度しか登らないなら、こんな雨の登山もネタ的には悪くない』などと雨を楽しんでいたのだが、そのうち雷も鳴り始めた。
山での雷は、はっきり言って怖い。 遮るものが何も無く、おまけに行程は山ガイドに握られているので、自分の危機回避能力だけでは如何ともしがたいのである。
出来ることと言えば、背の高い人から数mの場所をキープして歩くことくらいだ。
雷は空に近いーつまり高いところに落ちやすいわけだから、どうせ落ちるなら私ではなくてそちらに落ちてくれるに違いない。

怖いと言えば、登山の前日、同行者を怖がらせようと「富士山・怖い話」で検索をしてみようとしたが、検索結果のページで早くも断念した。自分で調べて自分で怖がっていれば、世話はない。

その後、8合目の山小屋に付くまでの間に、特に特筆すべき事柄は起きなかった。
雨と雷と疲労。それに尽きる。

午後9:00
やっと山小屋にたどり着いたときには、21時になっていた。ちなみに、予定では17時に到着だったはずである。
まぁそれでも兎に角、無事に山小屋までは着けたわけだ。ここで暫しの休憩を・・・。


・・・・・。


入り口で、既にヤバそうな雰囲気は感じ取っていた。
それは「想像を絶する」とはこんな時に使う言葉だ、と思う程、劣悪な環境であった。
二人並んで入れるかな、というスペース(2畳)に、頭足頭足と交互に6人並んで寝るのである。
どのような入れ方をすれば、この大量の荷物をひとつのナップザックに入れられるのか。 出発前夜、試行錯誤したものだが、自分がその荷物のごとき扱いをされるとは、全く想像もしていなかった。
しかも入り口付近でモタモタしていたら、同行者達と離れてしまった為、周りは知らない人ばかりだ。何が悲しくて見知らぬ人の足の臭いを嗅ぎながら寝なければならんのだ。 そう思っていたが、トイレに行って帰ってきたら、その「足の間」すら残っていなかったのには驚いた。 仕方なく、自分に割り当てられているであろう足Aと足Bの間に、多少強引に自分の尻を割り込ませた。

隙間がないので足は折りたたみ、盗まれると嫌なので頭の下に自分のナップザックを押し込み、毛布は確保できそうに無いので自分の腕で自分の体を抱きしめる。

こんなところに押し込まれれば、嫌でも普段使っている自分の寝床の有難さが分かるというものである。
自分のベッドで寝返り。
自分のベッドで平泳ぎ。
自分のベッドにダイビング。

当たり前に享受していた日常をこんなにも求める日が来るなんて。

午前0:00
狭い割り当て分の、さらに半分程度のスペースでダンゴムシのように丸まっていたとしても、雨風を凌げて暖が取れる屋内にいれば、多少なりとも呼吸は落ち着いてくる。
ここは無理にでも休息を取らねば。

と思っていたが、そのうち頭痛に襲われた。
これは・・・噂に聞いていた高山病だろうか。
私は幼い頃から皆勤賞型人間で、入院などしたことないし、無論行きつけの医者も存在しない。医者と言えば、小学2年生の時分、友人にふざけて「馬鹿」と言われ、憤慨してエレベータに乗らずに一人で階段で降りていた途中にコケて、頭から血を流して何針か縫った時くらいである。いや、小学6年の時にもクラスのお楽しみ会の途中で廊下を走ってコケて、頭を打って脳震盪(のうしんとう)を起こし先生の車で病院に運ばれたこともあったっけ。まぁ兎に角、何度か頭を打って多少どこかがおかしくなったかもしれないが、所謂「病気」とは無縁の人生を送ってきたわけである。
だからなのかそうでないのか、高山病などといういかにも自分の管理も出来ぬ軟弱者がかかりそうな症状が自分に起きたことを認めたくない気持ち一杯だったのだが、が、しかしこの頭痛は紛れも無く高山病の症状である。しかも全身疲労とセットである。今ならもれなく吐き気も付いてきます。

あまりの酷い気分に、『この頭痛が消えるなら、1万円くらい惜しくない』と考える。
所詮ケチなので、せいぜい1万円止まりである。
ちなみに、私は疲れを癒すために無理にでも呼吸を落ち着かせていたわけだが、 「高山病にならないためには、無意識な浅い呼吸にまかせず、意識的な深い呼吸が必要です。」どうも逆の行動をしていたらしい。

午前1:00
ツアー御一行様はお時間です。
そう言って起こされる。
起こされる、と、いうか、私は一睡も出来なかった。毎日の通勤電車では見知らぬ人に囲まれて爆睡する私だが、こういった場所では生来の繊細さが邪魔して眠れないのである。なんて可哀想な私。

午前2:00
何だかんだで山小屋の前の小広間で1時間も経ってしまったが、ようやく出発することになる。
酷い難民船ともこれでオサラバだ。
捨て台詞の一つでも置き土産に残していきたかったところだが、生憎その気力も残っていなかったので、大人しく山小屋を後にする。
尤も、私が行った山小屋が酷かったというわけではなく、富士山の山小屋というのはあんなものなのだろう。
終わってしまえば、まぁ興味深い経験ではあった。

山小屋から後はツアー団体は解散となり、各自自由に登ることになる。とはいうものの、相変わらず渋滞で、一歩進んでは立ち止まる、を、繰り返してのろのろと進むので、 やはり「自分のペース」どころでは無い。
そんな苛々するような渋滞の中、星が綺麗だと皆が言っていたが、帽子のツバとヘッドライトが視界を邪魔して、私はあまりしっかりと夜空を見上げることが出来なかった。 実はへばっていて顎が上がらなかっただけかもしれないが、それを認めることは私のプライドが許さない。 まぁ理由はどうであれ、空など見えなくとも前に進むのに支障はないのだが、ここで山小屋で一睡も出来なかったことがボディブローのように効いてきて、岩場の渋滞一時停止の短い間に一瞬会社の夢を見てしまった。

・・・むにゃむにゃ、ポートマッピング・・・・・・ハッ!!!

その後、結局間に合わず、9合目で御来光を待つことにする。
振り返ればいつの間にか明るくなり、はっきりと輪郭を現してきた稜線。
右か、それとも左か。
シューティングゲームをする時よりも集中して、視線を左右にめぐらす。

と、雲の一部が明るくなってきた。
あそこか!?

丁度雲が掛かっていて見えないようである。
残念、綺麗な御来光は見えなかったか。

と、暫くして、山頂から歓声が聞こえてきた。

・・・あれ?

数秒後、自分の周りからも歓声が上がった。
「なんだ、違うところ見てたじゃん、あれが太陽か〜!」
同行者達が喜ぶ声。
確かに、太陽かと思っていた場所より僅かに右側のほうが明るくなっている。
こっちか!

「ホントだ!全然違うところ見てたヨ〜!!」

私も周りに合わせて大袈裟にはしゃいだ声を出したが、何だこっちかと思った場所が またしても間違っていたことに、数秒後気付いた。
ちなみに私はシューティングゲームが苦手である。

その後、明るくなると多少足取りは軽くなり、頂上を目指す。
人間は本来、夜行性ではないのだ、と、その時私ははっきり分かった。
がしかし、気分は多少楽になったものの、眠気のほうは増す一方。
そのピークが来たのは山頂である。

ハガキを買ったりおみくじを引いたりと楽しそうな同行者達の横で、 私は自販機に寄りかかって今にも白目を向いて倒れそうであった。 あんなに眠かったのは、中学生のときに、徹夜明けで動物園に遊びに行ったとき以来である。そんなわけで、私は何の感慨も持たずに、ある意味無我の境地で富士「登山」を終えたわけであった。


そして、待ちに待った下山が始まる。
延々と続く砂利道を滑りながら、私はエネルギー保存の法則を思い出す。

  mgh = 私の体重[XXg] × 重力加速度[9.8m/s 2] × 富士山の高さ[3776m]

山を降りているのに、何故失われた位置エネルギーは私に戻ってこないのだ。
そんなことを考える。

登りよりは遙かに呆気なく、7合目まで降りてきた。
と、突然馬がたくさん通るのに出くわすようになる。5号目から7合目まで、金さえ出せば、お馬に乗って上り下りできるようになっているのだ。 動物好きの私は最初、馬が通るたびにわくわくしたが、あまりに頻繁にすれ違うので、最後のほうはどうでも良くなっていった。
おまけに山道のあちこちに糞山が転がっている。
ただし、臭いはきつく、近づくと気付くことが出来るので、踏む恐れは無い。
臭いを感知するたびに糞を必死に探す私を宇宙人が見ていたならば、さぞかし糞が好きな生命体なのだろうと思ったことであろう。

11時30分
下山。
ゴールテープを切るマラソン選手の真似をしてみたかったが、多少人目を気にしてしまい、出来なかった。だから何となく、達成感はイマイチだったが、 これにて富士登山は終了である。

24時間中、17時間が登山(下山)であるという、なんともヘビーな一日であった。
そんなヘビーな一日が、私の中の何かを目覚めさせたかといえば、無論そんなことはない。寧ろ疲労により、その後数日は暇さえあれば眠りこけていたくらいだ。
が、まぁこれで、これからの人生で「え〜富士山登ったこと無いの〜」と人から言われることが無くなったことを考えれば、そう悪い経験でも無かったと言えるだろう。

戻る