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英才教育

会社の同期が出来ちゃった結婚をした。
まだ結婚はしないなぁ、と常日頃言っていた彼が結婚を決意した、ということは、やはり、出来てしまったのは『アレ』だったということなのだろう。
こんなやりとりがあったのかもしれない、と、推測する。
女「・・ねぇ・・・。」
男「何?どうしたの?」
女「・・私・・・。」
男「ん?」
女「・・私ね・・・。」
男「なんだよ、どうしたんだよ。」
女「・・・私のお腹の中にはもうひとつの命が存在しているのよ!」
アレの存在を知った彼は、その瞬間、原始的な逃走本能を抑えきることが出来たのだろうか。
(注:アレ=回虫ではありません)

さて、予定日は来年の頭だということである。
ということは、今現在、出来たアレは未だ羊水の中にぷかぷかと浮かび、
指の又の水かきを削っても溺れないだろうか、とか、
今、瞼に切れ目を入れると滲みて痛いかも、とか、
頭皮の下で生成しつつある紐状の細胞にどの程度の栄養をまわすべきか、とか、
まぁせいぜいその程度のくだらぬことしか考えていないものと思われる。
そんなだから、勿論社会からはまだ一人前の人間としては認めてもらえない。 妊婦さんを見て「あ、お二人ですか」という人は見たことがないので、これは確かだ。

が、そんな『アレ』も、来年早々には母体から脱出し、うぎゃあ、と叫んだ途端、「一人の人間」として認知されるようになるわけである。具体的に言えば、その瞬間から、街で突然立てこもり事件に巻き込まれて人質となった時、「人質○名」の○名にカウントされる資格を持つようになるというわけだ。
今までとは違い、もっと外の世界を相手にしなければならなくなるわけである。

最初はまだ良い。
適当に笑いかければ大人たちは愛想笑いを返してくれるし、例え可愛くなくてもよほどのことがなければ「可愛いお子さんね」と声をかけてもらえるものだ。
が、そんな余裕で楽勝な時代も長くは続かない。
ある程度大きくなれば、可愛くない子は決して可愛いとは言われなくなり、場合によっては以降一生一度たりとも可愛いと言われない可能性だってあるわけである。
外の世界は厳しい。

無論、可愛さだけが全てを決めるわけではない。大きくなるに従い、可愛さ以外にも性格のよさだとか頭のよさだとか運動神経のよさだとか、そういった価値基準も評価対象になってくるわけである。そのうちのどれか一つにでも誇れるものがあれば、いろいろと得なこともあるだろう。
が、人間頑張ったからといって、ある程度凝り固まってきてしまってからでは、そうそう努力だけで人より抜きん出ることは出来ない。
そこで有効だと思われるのが、英才教育である。
子供の頃は親に逆らうことも知らないし、世界にもっと悪くて楽しい遊びがあることをも知らない。おまけに活きの良い脳細胞と柔軟な血肉がつまっているから、うまくいけば、人工天才だって夢じゃない。

だが一言で英才教育といっても色々ある。実際にはどうしたらよいのだろう。
私は彼および彼の生まれてくる子供のために、どのような英才教育が効果的なのか、勝手に考えてみた。(暇だったから。)

勿論英語は基本である。
実用に耐えうるリアルタイム自動翻訳機は当分の間実現しなさそうであるから、英語がぺらぺらであれば、例え他の能力が多少劣っていても、職には困るまい。何より、日本語に加えて英語も話せればそれだけで格好いい。
同期の彼は、確か英語は私と同じように日本人平均、つまりほとんど話せない筈。ということは英才教育で子供に英語を教えた場合、反抗期になったら親子喧嘩の最中突然「Shut up! Bastard!What do you know about me?」とかワケ分からない言葉で怒鳴りだして、親の劣等感をいたく刺激するようになるに違いない。
それを想像すると楽しい。いいな、英語の英才教育。採用。

が、ここで英語だけというのはなんともさみしい。
ではドイツ語か中国語か・・・というと、それも悪くはないが、結局キリがないし、子供も混乱しかねない。
そこで個人的にオススメするのが古代エジプト語。あの、鳥だとか葉っぱだとか波線だとかで構成された絵文字のことだ。 覚えたからといって何の役に立つわけでもない、その無駄さ加減が素晴しい。
人から手っ取り早く褒められるには、人がやらない一風変わったことを選んでやれば良いのだ。人間というのは基本的に自惚れ屋だから、自分が出来ないことを出来る人がいると、「自分が出来ないことを出来る」という理由で人を凄いと思ったりするのである。そういう意味では、古代エジプト語は最適だ。実際、古代エジプト語が書ける人間なんて、私は今まで直にお目にかかったことがない。
ただし、少し調べてみたら、アルファベットだけなら大して覚える種類も多くないし、大人になってからでも覚えられそうだ。逆に言えば、英才教育として敢えて早期に取り上げる必要性は薄そうだ。・・・しかし、古代エジプト語。これ、本当に良いような気がしてきた。というわけで、自分が覚えることにする。

他に、知識蓄積系だと、○○博士も良い。個人的には恐竜博士、昆虫博士にはさして惹かれないが、天文博士や地理博士や考古学博士などなら悪くはないと思う。以前TVで、レコードの溝を見ただけで、曲名、指揮者まで当てるビックリ人間がいたが、あんなのもインパクト大で素敵だ。子供は基本的に頭がよく且つアホだから、「これを覚えれば飴あげる」とか何とか適当な餌をまいておけば、ある程度モノになるのではないだろうか。ただしこの知識蓄積系、応用がまったく利かない場合は逆に皮肉を込めて「歩く大容量Readableメディア」などという不名誉な渾名をつけられかねないし、また、外見がある範疇に属している場合はただの「役に立たないオタク」としかみなされない危険もあるので注意は必要だ。

不幸にも子供の頭が悪・・・いや、お子さんに、そちらの方への適正があるというわけにはいかなかった場合には、しつこく親が期待を寄せて子供に苦痛を与えるのも可哀想なので、さっさと諦めて方向転換するのが宜しいかと思う。

左脳が駄目なら右脳。
芸術系も良いかもしれない。
楽譜が読み書き出来るのは基本。でも、ピアノよりはギターだとか三味線だとか、あとは横笛なんかも良い。古代エジプト語と同じ原理で、マイナーな競合の少ない楽器がコストパフォーマンスが良いだろう。
どこでも出来る、という意味では、草笛を上手に吹ける、なんてのもポイント高いかも。

所謂、「英才教育」という観点からは、音の聞き分けの訓練なんてのもソレらしくて良い。ただし絶対音感なんてほとんどの人は持っていないから、まわりに絶対音感を持つ人がいないという確認が取れていれば、雨が降ったときにおもむろに「あ」という顔をしてみせて
「この屋根にあたる雨音はE4・・ミの音だね」
とか適当に言ってみても、まわりは尊敬してくれるかもしれない。
ただしこの場合芸術センスは必要ないが、代わりに、抜け抜けとそれらしい嘘を言う度胸が要求される。英才教育で度胸を培う有効な手段は今のところ思いつかないので、まぁとりあえずは正攻法で行くことをオススメする。

さて、あれこれやらせてみて、どうやら芸術的センスもないことが発覚したら、右脳左脳と脳に拘らず、方向転換してスポーツなんかよろしいのではないだろうか。
バレエはどうだろう。あんな同じ人間とは思えない曲がり方をする体になるには、やはり相当若い骨の固まっていない状態からの訓練が必要なのではないだろうか。
あれだけ柔らかいなら、誘拐されて車のトランクに押し込められた時も、アクロバティックな体のひねりで逃げ出すことが出来るかもしれない。ちなみに私は体が硬いので、トランクなんかに放り込まれた日には、犯人にそのつもりがなくても、窮屈さのあまり勝手に死んでいるに違いない。

いや、しかしバレエはスポーツというよりは、芸術的センスも相当要求される分野か。先程、彼の子供には芸術的センスがないことが(私の妄想の中で)発覚したので、これは却下だ。もっとスポーツスポーツしたスポーツ、というと。
水泳。
うーん。
これはちょっと競合が多そうだから、英才教育としてはオススメしかねる。ただし泳げたほうが飛行機事故不時着の際に生き延びられる確率が高そうだから、たしなみ程度にはやっておいてもよいかもしれない。
後は、ゴルフやテニスなど、お金のかかりそうなものは却下。私と同じ会社に勤めている以上、彼にそんな金の余裕があるとは思えない。
柔道、剣道。それに体操。
そのあたりが無難なところか。
が、無難すぎて、それなりに魅力的ではあるが、超オススメとは言いかねる。
加えて、スポーツというのは、ものにならなかった場合、日常生活で“それなりに出来る”ことを人に見せつける機会というのが少ないので、最初の目的「どれか一つにでも誇れるものを作って、それを武器に楽な人生を歩もう」計画にはマッチしない。

難しい。
右脳も左脳も肉体も駄目となると・・・。

ここはもう、イレギュラーな部分、第六感を鍛えるしかない。
彼の生まれてくる子供への英才教育は、これで決まりだ。さっそく明日にでも彼に提案してみよう。

「現代科学では解明できない不思議な能力が身につく」
「宝くじがあたる店を見抜く力が備わる」
「何故か魅力的になれるグッズ一式」

私が職に困った時は、子煩悩になりそうな彼が、彼の子供のために、私の手作りグッズを買ってくれるに違いない。


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