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悲しきギザ十の末路
「ギザ十」というものを御存知だろうか?
恐らくこれは一般用語として市民権を得ている言葉だと思うのだが、一応念の為
説明しておこう。
ギザ十とはすなわち、
ギザギザの十円玉、という言葉を37.5%に濃縮した形なのである。
昭和二十年代前半以前の十円玉の事であり、側面がぎざぎざしている。
古い型の硬貨であれば、当然現在のつるつるハゲな硬貨よりは出会う確率が低く、
従って希少価値なんてものがいつの間にやら付いてきてしまったりするわけである。
さて、このギザ十。
子供の頃、この抗い難い魅力にまんまと嵌まり、
集めた記憶のある方も多いだろう。
或いは未だに集め続けているか。
私はと言えば、ご多分に漏れず、十円玉があればすぐにそれが
ギザ十であるか否かを確かめ、運良くそうであった時には、それ専用の小箱
に貯めていったものである。
現在でも何かの拍子にギザ十君を見つけると、財布の違うポケットに入れて
分けておいたりする事もある。
そんな私的には貴重であったギザ十も、実はそれ程珍しいものではなく、
中学に入る頃には小箱の中に数十枚は集まっていた。
そして時は流れ・・・。
私はギザ十に対する情熱を、いつのまにやら無くしていたのである。
ふっ・・・大人になるって、残酷な事なんだね。
こうやって、忘れ去られた小箱の中には、こちらは割と実質的な価値のある
百円記念硬貨や、また今まで2度しかお目にかかっていない古い5円玉
(5円という文字が古めかしかったりする)なども入っていたのだが、
私はすっかりその存在を頭の中から消し去ってしまっていたのであった。
容量が足りなかったらしい。
さて、ある日の事である。
私は兄の運転で、祖父の家へと向かっていた。
助手席には母親が、そして後部座席には私とその父親が座っていた。
高速道路の料金所の手前で、その事件は発覚した。
「あれ?これギザ十じゃん。」
母親から小銭を受け取った私の兄は、自分の手の中のギザ十を見つけて声を
あげた。さらに、
「あれ?・・・これ、全部ギザ十じゃん。」
「え?ギザ十って・・・?」
驚いた事に、私の母親はギザ十を知らなかったのだ。そしてショッキングな
告白が続く。
「あら、それ、まとめて袋に入ってたから、ばしばし使っちゃったわよ。」
我々、つまり残りの3人は少々呆れて笑ってしまった。
「何?袋に入ってたのか?」
「それなら普通、何か違うのかも、って思わない?」
「あらやだ、こんなところに十円玉があっても、と思って使っちゃったわよぉ。
やだ、どうしよう。」
どうしよう、と言われても使ってしまったものはどうしようもない。
誰が貯めた10円玉かは分からないが、あの、ある種の盲目的な情熱をもって
集められたであろうギザ十は、こんなにもあっさりと世間の荒波の中へと
放たれていったわけである。
アーメン。
ーそれから数ヶ月後。
つまり、これを書いている時点から見て、昨日の事であるのだが、
私は再び母親とギザ十の話をしていた。話の流れで古い型の5円玉の話になる。
やはり、それも見た事が無いという母親に、優しい私は
その5円玉を持ってきて見せようと自室へ戻った。
そして、恐らく数年ぶりに、私は例の小箱の中を覗く事になったのである。
子供の頃の、あのワクワクするような感触が蘇ってくる。
私は小箱の蓋に、手をかけたー。
そこにはポプリが入っていた。
私は少なからずショックを受けた。
母親がバシバシ気付かずに使っていたというギザ十は、どうやら私のものだったらしい。
ちなみに、明らかに普通の硬貨とは違う“記念硬貨”も消え失せていた。
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