戻る

寝る

生物とは、寝るものである。
寝なければ、生命を維持することが出来ない。

数日起動しっぱなしだった機器の動作が怪しくなった場合は「使えねー」と切り捨てるのに、自分自身は数日どころか24時間起きているだけで挙動がおかしくなってくるのである。おかしくなってもまだ寝ないでいると、歩いている最中に白昼夢を見て何かを口走ってしまったり、何もないところでよろけたり、ささいなことで笑い出して止まらなくなってしまったりと、エラーが頻発し始める。
試してみたことはないが、それでもまだ寝ないでいると恐らく致命的なエラーが起こり、システム復旧不能に陥るのであろう。


人間とは脆いものだ。


さて、では生物に必要なこの「睡眠」の定義とは何であろう?
私の拙い知識によると、寝る、というのは脳が休んでいる状態のことを示す筈である。 一般的に、寝ている人と起きている人の違いなど、見れば一目瞭然であるが、一応科学的に識別出来ないこともない。脳波を測定すればよいのである。
脳波は、覚醒状態と睡眠状態とでは顕著な違いが見られる。
覚醒時に観測されるのがβ波。リラックスすると出るといわれているのがα波−これは胡散臭い癒し系グッズでよく見かける単語だ。さらに眠りに入ると、人間の脳からはθ波だとかδ波だとかが発信されるようになる、らしい。
ちなみに、睡眠には大きく分けてレム(REM-Rapid Eye Movement)睡眠とノンレム(Non-REM)睡眠の2種類があり、通常の睡眠ではそれが交互に現れる。
確かレム睡眠とはデフラグのようなもので、ノンレム睡眠は電源OFF状態だったと思う。 そしてその違いも、脳波を測ることで識別することが出来る、らしい。 このあたり、かなり怪しいので、正確なところを知りたいならば、自分で調べてもらいたい。

ところで先ほどから当たり前のように脳波脳波と言ってきたが、そもそも脳波とは一体なんなのだろう?
脳の波。
脳から何らかの波形が出力されているのか?
脳の微小振動により、定常的な波が生成されるのだろうか?
ちょっと調べてみた。

・・・。

よく分からんが、脳に走る電気、2点の電位差を測ると現れる波のことを脳波というらしい。ふむふむ、電気か。電気の波か。・・電波か。
そういえば、ちょっと会社のあの人も、電波を発しているような。

さて、この「電位」を図る方法だが、意外に大掛かりな装置は必要ないらしい。
通常のテスターと同じように、頭の二箇所に電極を貼り付ければ、脳波を測定することは出来るようである。尤も、そのような簡易装置で測れるのは飽くまで 「遊びレベル」の脳波のようだが。
が、それでいいのだと思う。
これ以上は脳波測定技術を発展させない方が人類のためではなかろうか。
だって、もし、遠隔地から正確に脳波を測定できる機器でも発明されたら・・・。




会議中、α波が出まくりなのがばればれではないか!




閑話休題。
睡眠は、人類にとって必須である。
先ほど述べたように、脳の正常な活動を維持するために、情報整理と休止の時間が必要なのだ。
そう、私が人より良く寝るのは、日頃から吸収している情報が多いため、整理する時間が人より多く必要なだけなのである。決して怠け者だからではない。

ところで、良く寝るとは具体的にどの程度を指すのかと言うと、まず、休日に12時前に起きるのは稀である。 常に手帳が空白である私は、「休日って休むための日だから休日ナンデショ」という強がりの代表のような台詞を(好んで)実践しているわけだ。あまりに寝すぎて、最後のほうは半覚醒状態が続き、寝ているのだか起きているのだか自分で分からなくなることすらある。自分では起きて部屋のドアを開けて歩き出したつもりだったのに、ふと気付くとまだ寝床の中だったりするのである。あれは本当に苦しい。
高校の時は、起きたら模試が終わっていたこともあったっけ。
それから、寝るといえば、座って話を聞く環境だ。
あの状況に置かれれば、5分と持たないことも珍しくない。 これは小学生の授業から始まり、中学高校そして大学の授業まで当然のように続き、社会人になってからも一向に治る気配がない。座って謹聴の体勢に入った途端、ストン、だ。もうパブロフの犬状態である。 自分でも、何故あんなに垂直に眠りに入れるのか不思議なくらいだ。 自分と相手のふたりきりの打ち合わせ時に眠ってしまったのには、流石に自分でも驚いたが。まぁ余程つまらない話だったのだろう。

日常生活で眠るのは、何も会議の時だけではない。 自分の寝床でゆっくり休むのが最適だとは思うが、電車の中の睡眠も、なかなか乙なものである。
ただ問題なのは、電車では、降りるべき駅に着いたら降りなくてはいけないという制限があることである。
だが、「そうしなくてはいけない」からといって必ずしも出来るわけではないのが、人間というものだ。


人間とは何と不完全な存在なのだろう。


そう、私は良く、電車で寝過ごすのである。
電車で寝過ごすー実はこれは、全く自慢にならないけど、と言いながら自慢気に語る自分の特性のひとつである。
似たようなものに、「道に迷う」「人の名と顔が覚えられない」なんてものもある。 ちょっと変則的だと、「つぶ餡が嫌い」なんてものもある。
そうやって自慢げに語るくらいだから、無論、朝の通勤電車でも同じように寝過ごすわけだ。(幸い、毎日の通勤電車で座ることが出来る環境にあるため、必ず40分程度の睡眠をとることにしているのだ。)
今までの朝の最高記録は4駅だ。どうせなら、終点まで寝過ごしてみたいものだが、流石にその実現はなかなか難しいようだ。ただ、2,3駅なら割と頻繁に寝過ごしている。 勿論、このような場合は、どうどうと遅刻である。その上寝過ごしたことを、さも正当な理由があるかのようにお昼のネタにするのである。
曰く、「寝過ごすのが怖くて寝なかったら、会社で1日中眠くて仕方が無くなって効率が落ちる、つまり会社にとっても損である。それよりは、多少寝過ごして遅刻するリスクを許した方が、会社にとっても結局のところ良い筈である」云々。
実際、間違えて単行本を開いてしまい、朝の電車で1睡も出来なかった日など、会社で眠くて仕方がない。
じゃあ寝ていった日は会社で眠くないのかといえば、必ずしもそうであるわけではない。
ただし、眠らない日は間違いなく眠いので、やはり、会社は寝過ごす私の主張を正当なものと認めるべきではないだろうか。

・・・全く、これを言ったのが他人だったら、けしからん、と怒るところである。

どうでも良い話だが、最近は重力に負け気味で、顔のうつむき角度が以前と比べてきつくなった。気付くと自分の襟をくわえそうになっているくらいである。 そのうち本当によだれを垂らしながら襟をくわえているんじゃないかと思うとちょっと怖いが、まぁ、食いつくのが自分の襟であるうちは、まだ大丈夫だろう。・・・人として。

さて、季節は春である。
春といえば、あのたまらない気温と風。お眠りなさい、お眠りなさい、と、春の妖精さんが私に囁きかけてくるようだ。眠らないわけにはいかない。
『春眠暁を覚えず。』と孟浩然の詩にあるが、昔の人は随分と早起きである。
私の場合、本能の赴くまま、暁(夜明け)どころか夕暮れさえも気付かないまま寝ている時がある。・・・まぁこれは春に限った話ではないが。
私が人より良く寝るのは、整理すべき情報が人より多いからだ、と先ほどエラそうに述べてみたが、それにしてもちょっと寝すぎなような気が、実は、している。

ところで、睡眠が足りないと人間おかしくなるのは間違いないと思うが、十分以上の睡眠をとった場合、人間どうなるのか。
脳の情報整理が進んで素晴らしいアイデアが浮かんでくるか。
それともエネルギーが充満して、処理速度がUPするか。
私の長年の実体験によると、答えはこうだ。


体の節々が痛くなる。


戻る