私は時々、「お前は鳩マニアだ。」と他人から言われる。
言われるたびに、「あぁそうさ、鳩マニアさ。」と誇らしげに答えているが、
言った人間が私を誉めているわけではないことくらい、知っている。
さらには、「鳩マニア」であるというのも正確ではなく、
実際は、毛の生えた動物全般が好きなだけなのであるが、他の動物とは違い
鳩は何故だかいつでもそこら中にいる。
だから、それ(鳩)にフラフラと寄っていく私は鳩好きだと思われているらしい。
まぁ嫌いではない。
「鳩に餌をやらないでください」と大きく書かれた看板がない公園に行くときは
大抵、鳩餌を持っている。
看板が小さい場合は気付かない振りをする。
そして、鳩を見つけ次第、目があった手近な鳩にむかって餌を投げ、鳩寄せをする。
ある程度集まってきたら、ターゲットを定め、そこに餌を投げる。
微妙に運痴な私だが、鳥に餌を投げる時だけは何故か、
妙にコントロールが良かったりする。
野良鳩達は、野良であるが故、食べ物には貪欲なのか、大概の場合、
餌に群がってくるので、私は僅かな賞味期限切れのパンで
群衆を見下ろす支配者の気分を味わうことが出来る。
糞害に悩んでいる人達にとってはかなり迷惑であろうことは知っているのだが、
この支配者気分は捨てがたい。
しかしながら、
時々、どいつもこいつも満腹なのか、1羽たりとも見向きもしてくれない日というのが
存在し、そんな日は逆に、群衆に見放された裸の王様の気分になる。
自分がゴミ撒きマシーンになったようで恥ずかしい。
そんな時は「仕方ないなぁ。まぁ明日になれば食べるでしょう。」
と、言外にゴミではないことを主張しながらそそくさとその場を去るのである。
さて、鳩には珍妙な行動が少なくないが、その中でまず、
誰もが好きな話題(であるに違いない)、「求愛行動」を取り上げてみようと思う。
鳩は年がら年中求愛行動ー妙に膨れて首を上下させながら他の鳩を追い掛けている
行動がソレであるーを見せてまわっているが、実際の繁殖期はどうなのであろう。
「1年中で最も 旺盛な繁殖期は春であるが、7月上旬から繁殖力は下降し、8・9月には 通常繁殖を休止する。また、春ほどではないが、秋にも発情する。」
・・・やはり、ほとんど1年中繁殖期であるらしい。
なんだか節操がないような気もするが、よく考えてみれば、人間の誕生日占いは
しっかり1月から12月まで存在する。
それに比べたら、とりあえず真夏の暑さには負けて繁殖をやめる鳩なんて、
可愛いものかも知れない。
「なぁ、イーだろ。いーだろ。」
「もう、しつこいわね。寄ってこないで頂戴」
「オイちょっと待てYo。オレのこの素晴らしい羽根、見ろよっ。見てくれっ。」
「何言ってんのよ。他のオス達と同じ、灰色じゃない。アタシこの間、上野動物園
に行って檻の中の餌つまんできたけど、
あそこの孔雀はもうそれはハンサムだったわよ。」
「・・つれないこと言うなよ。お前と孔雀じゃ子供は生まれないゼ?なぁ。なぁ。」
「もう触らないで、汚らわしいっ」
勝手に台詞を割り当てて、独り無聊を慰めるのが、ここ数年のマイブームである。
さて、次に鳩の珍妙な行動として、「歩き方」を取り上げたいと思う。
彼らは歩くとき、首を激しく前後しているが、あれはなんの意味があるのだろうか?
多分、鳥嫌いではないのに鳩嫌いな人というのは、あのカクカクしてる首が
苦手なのだろうと思う。
鳩の視点で歩いてみたら、かなり眩暈がすると思われるのだが、実際のところはどうなのだろう。
そういえば我々だって、他人の額に付けたカメラの映像なんかみると
すごいブレていると思うが、カメラを付けた本人は普通に物を見ているわけだから、
鳩だって別にくらくらせずに、鳩なりの正常な世界に住んでいるのかも知れない。
それに、もしかしたら前後しているのは体に対してだけであり、首だけに注目したら、常に前に進んでいるのかも知れない。
鳩の首の動きと言えば、歩行時の前後運動に加え、餌を食べるときの上下運動も、なかなか見物である。
細かい餌を撒いたときなど、激しく首を上下させながら食べるので、
エネルギー摂取量より消費の方が多いのではないだろうか、と心配になることもある。
鳩にとっては余計なお世話だろうが。
さて、私がこんな風に観察できるのも、鳩数が多いからである。
鳩は、カラスのように賢くもなければスズメのようにすばしっこくもない。
にもかかわらず、カラスやスズメと同じ地位、というか数を保っていられるのは、
その繁殖能力に加え、
他の鳥たちにない鈍感なずうずうしさがあるからなのであろう。
その特性のお陰で、有閑老人や私が投げ与える餌を迷わず食べることが出来るーつまり、エネルギーの確保が出来るわけで、それがこの鳩という種の増加を助けているのであろう。
が、このずうずうしさ、必ずしも良い方向に働くわけではない。
誰もが経験したことがあるだろうが、進もうとする場所に鳩がいた場合、
奴らはしばしば、歩いて逃げようとするのである。
お前の翼は何のためにあるのだ。思わず諭したくなる程の愚鈍さである。
もっと酷いときは、人間のほうが避けてくれると思っているのか、逃げるそぶりすらしない時もある。
ただし、避けてくれるだろう、というのは彼らの勝手な思いこみで、
人間側は必ずしも鳩に注意がいかない場合もある。
先日も、車にひかれてつぶれてしまった可哀想なハトの残骸を見た。
業務上過失致死。
ずうずうしさの所為で鳩は増えてきたのだろうが、ずうずうしさの所為で命を落とす鳩もいることを、ドライバーの皆様は忘れてはならない。
しかし、こんな風にずうずうしい、ずうずうしいと連呼してきた割には、奴らは本質的には臆病である。
何かの物音でブワッと一斉に飛び立つ光景を見る度に、クイズダービーのOP曲「♪ロート製薬〜」が私の頭の中に流れるのを、鳩たちは分かっているのだろうか。
また、何かに驚いて飛び立つならまだ分かるが、「誰かが飛び立ったからつられて
飛んでみた」という行動が多く、自主性の無さが見受けられる。
まるで、ホラー映画を見ていて隣の人の悲鳴に驚いた人のような情けなさである。
「群れる」というのも鳩の臆病さを顕著に表している習性だろう。
彼らは1羽では行動しない。
あの群で行動するのが、可愛らしくもあり、また、嫌いな人にとっては恐怖なのであろう。
ちなみに私は、それを見て可愛いと思う可愛いタイプである。
日陰に十何羽かかたまっている鳩。
同じ方向を向いて座っている鳩。
道のど真ん中でつぶれたように眠っている鳩。
そしてそれを眺めて微笑む私。
なんて可愛いんだ!と、心の中で呟く。
もしかしたら、声に出して呟いているかもしれない。
世界は薔薇色だ。
お手軽に幸せな気分になりたい人には、是非、鳩観察をおススメする。