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居留守


玄関のチャイムにしろ電話にしろ、突然の外部からの接触要求というものは 孤独で優雅な思索の時間の侵害であり、非常に煩わしいものである。
こちらの都合には全くお構いなしに 自分の権利だけを声高に主張するようなソレは、私にとって一生の敵であり、 恐怖の対象でもある。

さて、この無作法な訪問客の撃退法として一番簡単、かつ穏便な方法と言えば、 「居留守」である。居るのに、居ませんよぅ、という顔をして息を潜める あの方法である。
例えば昼寝中の電話は私の嫌いな生活音NO.3である。
(ちなみに、掃除機の音、目覚し時計の音が1位、2位である。)
私は、「出ろ出ろ、はよ出んかこのボケ!」と喚き続ける電話から目を逸らし、 ひたすら切れるのを待つ。忍耐という精神修行の時間である。
10コールくらいしつこく鳴って、やっと切れたと思ってほっとしたら また掛け直してきた時などは最悪な気分である。 自分の役割を果たしているだけである電話という機械そのもの、さらには 電話の発明者であるベル博士までをも恨めしく思ってしまう事すらある。
また、アポ無しの訪問客(それは隣人だったり勧誘だったり集金だったり 様々であるが)が玄関のチャイムを鳴らした時も、私はしばしばこの 「居留守」というありがたい方法を利用させてもらっている。
チャイムが鳴ったと同時に私はTVの電源をOFFにし、CDを消し、 忍び足で来客の正体を確かめに行く。この一連の動作は最早習慣化している為、 流れるようなテンポで行われる。
息を潜め、身動きを制限し、そして私は来客が去っていくのをじっと 待つのである。たまに諦めの悪い客人がなかなか帰っていかない場合など、 私は自分の家にいるにも拘らず、まるで他人の家に無断侵入した 空き巣のようにドギマギしちゃったりするのである。
ちょっと小悪党の気分。

さて、私の居留守利用率だが、 玄関のチャイムの場合はほぼ100%、電話の場合は50%である。
(ちなみに私は一人暮らしでは無い為、このような怠慢が許されるのである。 いや、許されているかどうかは分からないが。)
この差は、まず、電話の応対は間接的であり、たとえ寝起きのぼさぼさ頭でも だらしのないパジャマ姿でも大丈夫、という両者の性質の違いによる。
それからもう一つの理由としては、玄関の場合は相手(またはその様子) によって重要 な用件かそうでないかを判断できるのに対し、電話の場合は、ただの雑談 なのか知人の訃報なのかも分からない(つまり、 用件の重要度が受話器を取るまで全く判断出来ない)、という違いが あげられる。
そう、電話は実際の来客に対して、居留守利用不安率が高いのである。
そこで、居留守完全100%化計画を遂行する為にも、私はこんな提案を したい。
電話は少なくとも、緊急用とそれ以外の二種類の着信音を利用出来るように すべきである、と。

ところで、この居留守利用率のパーセンテージの違いが、思わぬ事態をひきおこした 事がある。ある日の午後、私は玄関のチャイム音にびくりと身を強ばらせた。
家には私1人である。
誰?誰なんだ!?
抜き足差し足で覗き穴に目を近づけた私は、見知らぬオジサンの姿をそこに 見付けた。
見知らぬ人=自分に関係無い→出なくても良い
何度かのチャイムの後、諦めたのであろう、彼は私の視界から姿を消した。
居留守は完了したー筈だった。

数分の後、私は電話のベル音を耳にした。
ビリリリリ、ビリリリリ・・・
居留守モード再び、である。が、しかし、
ビリリリリ、ビリリリリ・・・
割としつこい→大切な用件かもしれない
私はつい、受話器を取ってしまった。
「もしもし、叔父さんだけどー」
叔父、遠方より来る。
見知らぬオジサンだと思っていた人間は、見慣れぬ叔父さんだったのである。
「今、すぐ近くにいるんだけどー」
我が家に届け物があった叔父は、せっかく来たのだからと諦めきれず、 我が家の近くから電話をしてきたのであった。
玄関の前で叔父を出迎えた私は、
「さっき来たんだけどいなかったよね。一応電話したらいたから。」
と言う叔父の言葉に対し、「はぁ。」としか答えられなかった。

また、居留守に関してはこんな失敗例もある。
チャイムの音に、ドアの覗き穴から外を窺うと、叔母 (先程の叔父の奥様ではない、一応)であった。
これは開けたら家に御招待しなければいけない。
家の中はめちゃくちゃで、人の住処ではない。
恐らくブタ小屋以下である。
敢えて言うならばごみ箱だ。
とても叔母に見せられる状態ではない。
当然、私は居留守を使った。
可哀相に、せっかく来てくださった叔母は、お土産だけ玄関において 帰ってしまわれた。
翌日叔母からの電話に
「友人と動物園に行っていたので・・・。」
実際に、その数日前に動物園に行っていたので、詳しく聞かれても この嘘なら安全だと思ったのである。
実際、私はボロを出さずに済んだ。しかし、である。
数日後、再び叔母は我が家にやってきた。
ゴミ小屋の中の私は当然再び居留守モードへと突入し・・・。
翌日の電話にて。
「友人と動物園に行っていたので・・・。」
あさはかな私は、すっかり数日前の事を忘れて、 同じ言い訳を使用してしまったのである。
どんなに動物好きでも、そんな連続して「オトモダチと動物園」には 行くまい?
「また?」
という叔母に、(ハイ、スミマセン。また居留守でした)と心の中で詫びながら、
「あ、この間は多摩に、今度は上野に。」
なんてどもりながら答えたのであった。
苦しくて呼吸困難に陥りそうであった。

上述のような失敗例から、私は 何事に関しても、デメリットも考慮しておくべきだと痛感した。
ただし、私の痛覚は他人よりも鈍いらしく、私は相変わらず 居留守ヘビーユーザーである。

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