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静かなる攻防in電車


電車の中の他人の会話というものは、一度気になり始めると、もうどうしようもなく気になって 仕方が無くなるものだ。携帯していた文庫本を読み終え、尚且つ眠くなく、さらに吊り広告も読み終えて しまったその電車が地下鉄だったりしたら、もうどうしようもない。 他人の話を盗み聞きする以外に何が出来るというのだろう。
おっと、盗み聞きだなんて、人聞きの悪い。あれは、発信者が「聞かれているかもしれない」 事を承知の上で、公共の機関空間時間で垂れ流ししているものを、こっそり 何食わぬ顔で拾っている、ただそれだけの事なのだ。
ー何だか余計、汚い表現になった気がする。

さて、その電車内の会話の事である。
「あのさ〜、2組の高木って知ってる?高木悦子。 その子が前○○でー。超ムカツク態度だと思わないぃ〜?ね〜っ」
ね〜♪ってオイオイ、公共の場で個人名を公表して中傷誹謗するのは、いくら 言論の自由が保証されている民主主義国家日本の領域内であったって、 プライバシーの侵害、名誉毀損で訴えられてしまいますよ。
「最近、不景気ですからねぇ。僕なんて休日も家で寝てるばかりですよ。
ホント、新車も欲しいんですけどねぇ。」
君がぐうたらで欲深いのは、不景気となんか関係あるのか?
「横内さんちの息子さん、大学、慶応なんですって。奥さんも割と、 少なくとも決められた事はキチンとやるタイプみたいだけど、 息子さんが慶応だとはねぇ。」
誉めてんだか、けなしてるんだか、ただの話題提供なのか分からない。

こんな風に、電車の中の会話は、個人的、かつ驚くほど開放的に 交わされて行くものだが、まぁ、俗世間の些末事に対する興味など、ミジンコの 頭ほども持っていない高潔な私には関係の無い事である。大概は。

さて、何事にも例外はありまして、この、電車内の他人の会話に、 どうしても無関心でいられなくなる時、というものが確かに存在します。
さて、それは何でしょう?
なんて勿体を付ける誘惑から何とか逃れ、さっさと答えを言ってしまうと、 ソレは、主に3人以上の男子学生塊の会話中にたまに見られる現象です。
そう、その名は下ネタ。

それが、露骨なものであれば、なんら怯える必要は無いのです。
私はただ黙って顔を赤らめていても良いし、軽蔑したまなざしで 彼等を斜め目線で見遣って、フンッ、と鼻水を飛ばしたって 良いわけです。いや、それは良くないよ。
問題になるのは、それが「曖昧な」、「婉曲表現」である場合です。
仮にも私は、その私個人に対する修飾語が、「高潔」「純粋無垢無知」である、 と、私自身が認めているような人間です。
その私が、「曖昧」で「婉曲的」な下ネタに反応する事が許されるのだろうか!!
いや、それは決して許されない事なのである。
私は、「え?何のことを話しているんだい?ワタクシサッパリワカリマセン。」
ってな顔をするか、さもなくば、全く耳に入っていないフリをしなくてはいけないのだ。
そう、例えば高校生時分の現代文の授業中、級友が、「野草」を「ノグサ」と読んだ その時のように!!
(ノグサ→ノグソを連想し、くすくす笑いが起こるクラス内。
私は、つられそうになるのを何とか堪え、不審そうな顔をしてみせたのだった・・・。)

比較的すいた電車の中で、私は独り、やる事も無く座っている。
電車はその速度を徐々に落とし、やがてゴトリ、と一度大きく揺れて から停止した。
開いたドアから、学生服の男子生徒が賑やかに入って来る。
彼等は座っている私の前に陣を張り、楽しげに会話を続けた。

そこで私の耳に飛び込んでくる、微妙に下ネタっぽい単語の数々。

「お前ティッシュ使わー。」
「ーゴムがさぁ」
「アレがー」

そして、水面下の静かなる攻防が始まる。(←一方的な防戦のみともいう)

私は焦った。
焦ってはいけないため、必要以上に焦り始めた。
どうする、自分。落ち着け、落ち着くんだ!すーはー、すーはー・・・
ハッ!いかんいかん、普通にだ、普通にしていれば良いんだ!
聞いていないフリをしてればいいんだ!

行き過ぎた完璧なポーカーフェイスは既にポーカーフェイスでは無く、 抑え込んだ動揺をありありと窺わせる。

駄目だ!聞いてないフリなんて出来ない!!
じゃあ、分からないフリをしようっ!
私は首を少し巡らせ・・・。
い、いかん!い、今の動き、ぎこちなくなかったか!?
だ、ダイジョウブ??
私の視線は暫くふらふらとせわしなく漂った後、吊り広告の一点に 固定され、ピタリ、とその動きを止めるのであった。
誰が見たって挙動不審である。
ー恐らく、誰も見ていないのだろうが。

皆さん。
車内においての曖昧な下ネタは、控えましょう。地球上にはこの手の話を 耳にするだけで、不必要、不経済なエネルギーを消費してしまう種が存在するのです。

「鼻血出た時、お前ティッシュ使わないのかよォ」
「体育のパンツのゴムがさぁ、緩くなっててヤバかったよ」
「ホラ、教室の後ろのロッカー。アレが閉まんなくなってさー。」

そして、それが本当に下ネタでは無かった時の惨めさと言ったら、 とても言葉で表現出来るものじゃあない。


高潔純粋無垢な私も、いつもいつも被害者という立場に甘んじている訳ではない。
たまには、友人と共に、こんな会話をする事もあるのである。

「1ふたつと9ふたつ、つまり、1、1、9、9、の4つの数で、 10作ってみ。」

大声で。
聞きたくない人の耳にもキチンと聞こえるように。

考え始め、恐らく悩み始めた人々に、

「ズルはナシだよ。足す引く掛ける割るだけで出来るよ。絶対。」

さらに追い討ちを掛けるように、

「ま、私は出来たけどね。」

と言ってみたり。

勿論、ギブアップした友人に答を教えるのは、その電車を降りた後である。

<終>

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