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顔判別


異種族の顔を判別するのは、一般に難しい。
猿山の猿は、大きさが違うだけでみんな同じに見えるし、 川に浮いているカモは、まるで規格品のようである。
隣の人の皿に載っている肉の大きさと自分の目の前にある肉の大きさの微妙な違いは見逃さない 私でも、猿やカモを見分けることはとても難しいのである。
確かに、京都大学霊長類研究所の松沢教授は、アイとアキラとペンデーサ叔母さんを 見分けることが出来る。
数日前にTVで見た映画「グース」の中の女の子は、走るのも飛ぶのも下手な イゴール君を、他のカモと見分けることが出来ていた。
ス、スゲー。
しかし、そんなのは稀な例であって、ほとんどの場合、我々は異種族の個体差を判別 する事が出来ないのである。

多分、グースの女の子は平気な顔で、アキラのことをアイと呼ぶのであろうし、 松沢教授も自分の口に入っているのがイゴールの一部である事に気付かずに カモの丸焼きを食すのであろう。

と、ここまで異種族異種族と騒いでみたが、同じ人間でも、人種が違うと やはり判別の難易度がちょっと高くなってくる。
例えば我々日本人にとっては金髪碧眼の白人や、黒肌ちりちりパーマの黒人 の判別が、時々難しいように。
そういえば、あの <全米の各批評家賞を総なめにし、アカデミー賞で最優秀脚色賞と助演 女優賞を獲得した話題の映画『L.A.コンフィデンシャル』> も、最後まで登場人物の見分けが付かなくて苛々した。 ただし、見分けが付かなかったのは名前がみんな似ていたことも大いに 関係があるかもしれないが。
エド、バドに加え、シドまで登場しやがった。
もうワケがわからん。
ちなみに、私は「エド、バド、シド」という名前を覚えていたわけでは勿論なく、 たった今、検索してしらべたのである。

「イングリッシュペイシェント」という検索語で。

・・・題名に外国の地名が含まれている、という共通点しかなかった。
登場人物の名前を調べようと「イングリッシュー」の あらすじを読んでいる内に、どうも違う 映画を調べているらしい、ということにようやく気付いた。
そこで、 「アカデミー賞 似たような名前」 という言葉で検索したところ、出るわ出るわ(笑)
すぐに「LAコンフィデンシャル」に辿り着きました。 やっぱりみんな、同じ事思っていたのか。
ーと、このように名前が似ていて混乱したのだが、それに加え、 彫りの深いガイジン顔がみんな同じように見えた為、 私の頭は修復不可能なくらいに混乱したのであった。
あれが田中さんと田辺さんと田口さんだったら多分、見分けが付いたのだろうに。
・・・いやあ、しかしあの映画は実につまらなかった。 恐らく、アカデミー賞を取ったのは、題名に「LA」が入っていたからであろう。 戦争があると、意味無く支持率が急上昇し、愛国歌がベスト10の中に4曲も 入ってくる国である。
私がアカデミー賞を狙うときは、題名は「サンフランシスコの雨」にしよう。
今決めた。
とまぁ、こんな事書いていて名誉毀損罪とか詔書偽造罪とかで訴えられても困るので しぶしぶ書いておきますと、
「LAコンフィデンシャルは素晴らしい映画である」という日本人のコメントも ちゃんとありました。
マジですか?
というわけで結論はアメリカと仲良くしようね。という事です。

おっと、話が獣道に逸れてしまった。
種が違う生物の個体差の判別は困難である、という話だったか。
が、ここにきて、私はふと気付く。
私は昔から、同じ日本人でも、人の顔の違いをうまく判別出来ないのであった。
鹿賀丈史を見て役所広司だと言い放ったのは確かに私です。
その昔、松ちゃんと浜ちゃん(ダウンタウン)の二人に、ナンチャン (ウッチャンナンチャン)を加えた三人の区別が付かなかったのも私です。
そういえば、野村宏伸と野々村真の区別もつかなかった。 (名前が似ているからでは決してない!!)
高嶋忠夫に息子が二人もいたなんで知らなかった。
最近、高嶋政弘と小川直也が非常に似ている事に気付いた。
どうでも良いが、N先輩はジャバ・ザ・ハットにそっくりだ。

こんな顔判別の苦手な私の脳細胞は、日常生活でもしばしば活躍して私を困らせる。

高校生時代、こんな事があった。
二人の友人の名を、仮に森田さんと京極さんとしておこう。
彼女等はいつも一緒にいるため、私の頭の中では二人がセットで登録されてしまった。
セットといえば、平日にマックで 「チーズバーガー¥80」と「コーラ(S)¥140」と「ポテト(S)¥150」 を買う時、「バリューセット(チーズバーガーセット¥370)」を頼んでも ちっともお得じゃないのを御存じですか?
で、この二人はまずいことに、顔まで似ていたわけである。
友人に言わせれば「似ても似つかない」という事でしたが、確かに私の目には そっくりに見えたのである。
一年彼女たちと同じクラスで机を並べた結果、二人が並んでいればほぼ100% 見分けることが出来るようになった。 しかしながら、どちらか片方と会話し別れた直後に、自分がどちらと話していたか 分からなくなる現象は、治ることはなかった。

つい先日も、大学の講義で発表準備をしている人を見てハッとした。 二年ほど前、一年間同じ研究室で学んだ知人に似ていたからである。 挨拶するべきかどうか迷ったが、結局しないまま、私は席に着いた。
発表が始まり、 自己紹介をした彼の名前は、見事に違うものであった。
ちなみに、その研究室で一緒に学んだ同期の数は、私を含めて3人である。

あぁ、日本人である私が同じ日本人の顔を判別するのが苦手だなんて。

個体差の違いにまで目がいかないのは種が違うからである、という、 私のノーベル賞級の仮説は覆されてしまうのか?
それとも・・・。


そう、それとも、私は日本人ではないのか?
これなら仮説と矛盾しないしな。
あぁあ、もしかして自分、そもそも人ではなく、ニュータイプなのかもしれないな。

ちょっと自棄気味に考える。

安室奈美恵の名字<あむろ>をどうしても下がり気味に読んでしまっていたあの頃を 不意に思い出した。

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