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感覚その1ー嗅覚
先日、ビデオで「シックスセンス」を見た。
TV放映約1週間前の話である。
期待があまりに大きすぎて少々拍子抜けをした、というのが全体を通しての
感想だったが、確かに結末は意表を付くものであり、何の先入観も無しに見たので
あったのならば、それなりに楽しめた映画だったのではないかと思う。
実は結末が予想できず意表を付かれたのが悔しかったから難癖を付けているんだ、
とかいう噂もなきにしもあらずである。
さて、直訳してもそのまま意訳(通常の日本語)になる「シックスセンス」、第六感。
私に第5感以上の何かがあるとすれば、恐らくそれは妄想だとか幻覚だとかいった
これ以上ない程くだらぬものであるに違いないが、通常、第6感とは「霊感」を指す。
「霊的な何かを感知する不思議な感覚」のことである。
だが、何も6番目までいかなくとも、人間の感覚器は不思議で一杯である。
嗅覚、味覚、視覚、聴覚、触覚。
5つー意外に多いような少ないような。
ある人間に対し、
履き古したオヤジの靴下を鼻先に突きつけ(嗅覚)、
激辛×20キムチを口に含ませ(味覚)、
と同時に貞子を目の前に出現させ(視覚)、
耳元でアルミをフォークでひっかいた音を鳴らしつつ(聴覚)、
ナメクジを腕に這わせたら(触覚)、
その人間は、まず、何を思うのだろうか。
そんな恐ろしい感覚の中から、今回は、まず、嗅覚を取り上げてみたいと思う。
さて、嗅覚。
これは、他の感覚と比べて、割と軽んじられているような気がする。
もしかして、私が勝手に軽んじているだけなのかも知れないのだが、全5感覚の中で、
もし一つを手放さなければならないとすれば、私はまず間違いなく嗅覚を差し出すで
あろう。
梅の香りで春を感じること、
味噌汁の匂いで空腹を覚えること、
キンモクセイの香りでトイレを思い出すこと。
嗅覚はそれなりに生活や文化と密着していて、深い意味を持つ。
だが、花粉症の人が普通に生活できることからも分かるように、
もしなくなってしまっても、他の感覚と比べれば、それほどダメージは無いように
思えるのである。
嗅覚は必ずしも、文化的生活を営むにあたって、必要不可欠な物ではないのである。
しかも、嗅覚があることにより、被害を被ることだって少なくない。
世の中、知らなくてもよい事柄があるのと同じように、
嗅がなくてもよい匂いというのが存在するのだ。
山奥の非水洗式トイレの匂い然り、新宿の段ボール集団の匂い然り。
嗅がなくて良いならそれに越したことはないし、
匂いを感知しなかったからといって死ぬわけでもない。
嗅覚が無くなって、大して問題はないのである。
がしかし、ここで忘れてはならないのは、
嗅覚が無いことで自分が死ぬことは殆どないが、嗅覚が無いことで人を死から
救えなくなる職業が存在する、という事実である。
そう、それが救助犬である。
先日、メキシコにて地震があった。
倒壊した建物。何事かを叫ぶ人々。
テレビの中では喧噪に満ちた光景が繰り広げられている。
そこでは救助隊員に混じって、何匹かの救助犬も、
瓦礫に埋まった人を助け出すため必死の捜索を続けていた。
それを暖房の効いた部屋で見ながら、私はふとこんなことを考えた。
日本人は欧米人と比べ、体臭が薄いと言う。
私は基本的に、他人の体臭は(香水も含めて)嫌いなので、自分が体臭のきつい
人種でなくて良かったと思っている。
だがしかし。
テレビの中で活躍している救助犬たちは、その素晴らしい嗅覚で、
人の匂いを嗅ぎつけて、「わん」と吠えるか
なにかでその存在を知らせるわけである。
匂いを嗅ぎつけるーと、いうことは、同じ人間でも、「匂いがキツ奴」程、
救助犬に見付けて貰える確率が高くなるのであろう。
と、いうことを考えると、もしかしたら日本人は、こういった状況で
救助犬に見付けて貰える確率が低かったりするのだろうか?
・・・・・・。
我ながら、人の生死に関するニュースを見ながら、下らないことを考えた。
ところで、何故救助犬なるものが存在しているのか、と言えば、
それは無論、犬が人間と比べ、各段に鋭い嗅覚を持っているからである。
具体的な数値としては、人間の数千倍の鋭さだといわれている。
これがどの程度凄いことかというと、犬相手なら、昨今流行りのアロマテラピー
オイルを、数千倍に希釈しても、売り物になると言うことである。
・・・・それは凄い。
だが、もし生まれ変わっても、私は犬にはなりなくない。
何故なら、人間の数千倍もの感度を持つ嗅覚でもって
電車の中で他人のすかしっ屁を嗅いだら、間違いなく即死であろうから。
人間の数千倍も鋭い嗅覚を持っていながら、何故犬は生きていけるのだろうか。
また逆に、匂いの嗅ぎあいが挨拶である犬にとっては、
何故自分たちより何千分の一しかない鈍い嗅覚で
人間達が普通に生活していけるのが不思議でたまらないに違いない。
嗅覚ー感覚器というものは、不思議で一杯だ。
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