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民族音楽ミニコンサートに行く
先日、民族音楽同好会に所属している友人がミニコンサートを開くというので、
聞きに行く事にした。簡易地図を片手に行ってみると、さすが「ミニ」コンサート、
とってもミニであった。教室一個分の広さである。尤も、広い会場で
やる外部向けのコンサートというものも別にあるらしかったが、
このミニコンサートはどうやら、どちらかというと内輪向けの催しであるらしかった。
和やかな馴れ合いの雰囲気の中で、初めは少し異端者の気分であったが、実際にコンサートが
始まってしまえば、そんな事も気にならなくなった。
さて、始まったのは陽気なラテン音楽である。
ウクレレ、ギターに妙な笛。へんちくりんな太鼓。
ハイテンションの時なら踊りたくなるような曲調である。
そのうち、太鼓の音に合わせ、誰かが手拍子を始めた。すると、周りの人間もつられたように
手拍子を始め、手拍子は、あっという間に狭い教室に広まったのであった。
さて、この、手拍子。
恐らく、多くの人が一度は感じた事があるに違いないが、実はこれ、
結構微妙なものなのである。
本当に手拍子をしたくなる曲調か否か、だけでなく、
手拍子をしても顰蹙を買わないだろうか、とか、手拍子の広まり方(速度)とか、
周りの人間がどのくらいの割合で手拍子をしているのか、等々。
また、手拍子を始めた後も、それが周りにどういった影響を与えるか、等。
無理に理系っぽい言葉で表すと、会場内は、
一時点前の出力(会場の雰囲気)が、次の入力(それぞれの人間の行動)に影響を与える、
多入力一出力のフィードバック型制御系になっているのである。(笑)
恐らく我々は、そういった事柄を無意識に計算しているのであろう。
いわゆる、<流れを読んでいる>という状態である。
いろんな事が、互いに
複雑に影響を及ぼしあって、その結果が、「みなオトモダチ和気あいあい拍手」なのである。
う〜ん、すごい。
そんな事を考えているうちに、コンサートはつつがなく進行しー。
いかにも自分が格好良い事を疑った事が無さそうな
兄ちゃんのギター弾き語りが結構上手かったり、
怒ったキューピーちゃんを彷彿とさせる風貌をした兄さんが案外良い声だったり、
ミニではあっても
最後の方はかなりレベルの高いコンサートであり、民族音楽に心酔しているわけでは全然ない
私も、案外素直に楽しめた。
さて、楽しいミニコンサートもいよいよ最後の曲となり、無事、終了した。
拍手、拍手、拍手。そして、拍手はやがて手拍子となり、アンコール要求へと変わる。
この変遷も、周囲の<流れを読>み自分の行動を決める、という意味で、曲中の手拍子と同じく、
なかなか微妙なさぐりあいがあって面白い。
まぁ、音楽コンサートでのアンコールは儀式みたいなものであるが。
さて、楽しい楽しいミニコンサートもいよいよ本当に最後の曲となった。
アンコールはいい感じの曲。
派手すぎず、でもしっかりラテン音楽。
そして手拍子を始めた人が一人。
・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
手拍子をしているのは一人。
誰も彼に続かなかったのである。
誰も、彼の手拍子に乗らなかったのである。
だって、そんな曲調ちゃうもん。
しかし、恐らく、引くに引けなくなってしまったのであろう。
その後も彼は、意地になったように独り虚しく手拍子をたたき続けた。
私は、彼の心中を思うととても心が躍り・・・いや、心苦しく、
せっかくのアンコール曲も途中から全く耳に入ってこないまま、終わりを迎えてしまった。
それと共に、無謀な挑戦をした男の、恐らく拷問に近かったであろう時間も
ようやく終わりをつげたのであった。
終わった・・・。
何故かほっとしている自分に気付く。
そして室内は、数十人で出せる限りの大きな拍手で一杯になったのであった。
めでたしめでたし
<終>
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