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一本道の田楽


先日、バス旅行に行った。
白い大仏を見てきた。
もしかしたら観音様だったのかもしれないが、その辺は信心浅い私の事、 違いなど良く分からない。
罰当たりな事である。
天国に行けないかもしれない。
ところで、バスから降りてから、その白く巨大な物体にたどり着くまでには、 長い一本道の坂を登らなくてはいけなかった。
どうやらその辺はこんにゃくの味噌田楽が名物であるらしく、ぽつんぽつん と連なっている小さな土産屋では、どこでも鍋の中でこんにゃくが ぐつぐつ煮えているのである。
あの匂いは堪らない。
やはり、自分は「日本人である」という自分の意志で決めたものではない 制約に囚われてしまっているのか。と悲しく想う暇もなく、腹の虫が ぐーと鳴く。
さて、登り始めた当初から気になっていた味噌田楽であるが、すぐに買うのは はしたないというものであろう。私は横目でちらちら見ながら頂上まで 我慢しよう、と坂を登っていったのであった。
しかし、である。
坂の下で300円で売っていたこんにゃく味噌田楽(3本)が、坂を登るにつれ、 350円、400円、と高くなっていくのである。
高度と味噌田楽の値段が比例しているのか、はたまた気圧と味噌田楽の値段が 反比例しているのか。
その辺の詳しい事情は分からないが、兎に角、味噌田楽の値段は上がってい くのであった。
これでは頂上に着いても買えないではないか!!
300円で買えるものを400円で買うすちゃらかぷーなアホが この世のどこにいるのだろう?
いるとしたらあの坂の上の白い巨体くらいだ。
そして私は我慢に我慢を重ね、白いのが大仏か観音かも 分からぬまま、坂を下り始めたのであった。
そして、「食べたいなぁ。」が何時の間にか「食わざれば死ぬ」 とまで発展した思考回路の薦めるまま、こんにゃく味噌田楽を購入 したのである。300円で。

さて、その味噌田楽は大変美味く、 思い返してみても、後悔するような事は何もないのだが、 坂を登り始めた時と比べ、登り終えた時の味噌田楽に対する要求が 大分膨れ上がっていた事を考えると、私の中では『もしかして彼ら 「味噌田楽を守る会」にしてやられたのではないか?』 という疑念がふつりふつりと沸いてくるのである。
彼らは似たような店構えで、一見、飢えた客に田楽を買わせるという 同じ目的を持った商売敵であるように見える。
しかし、その実彼等は同盟を結んでいて、坂を登るほどに値段を高くしている のではないだろうか?
つまり、値段に差を付ける事によって、 坂を再び降りてきた客に、「こっちの味噌田楽は安いじゃん、 どうせだから買っちまおう。」と思わせ、不必要な出費を促すのである。
無論、儲けは折半だ。

・・・こんな事を考える私の思考は、どこか歪んでいるのだろうか。

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