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虫と私
突然だが、私は虫が嫌いである。大嫌いである。
「嫌い」という言葉に「大」がつく事で、嫌いという感情が強調されるならば、
私は虫が、大大大大・・・・・・・・・・・・・・・・大大大嫌いである。
実はホワイトアスパラも嫌いなのであるが、その嫌いなホワイトアスパラ
の百倍以上は虫が嫌いである。つまり、それは、ホワイトアスパラ百本と
虫が一匹、それぞれ目の前の皿のレタスの上にのっていたら、ホワイトアスパラ百本の方を選ぶ
、という事である。・・・違うか。
とまぁこんなに私は虫が大嫌いなのだから、虫の方も私の事を嫌って
近寄ってくれなければ有り難いのだが、そう上手くはいかないのが世の常である。
ヤツらはしばしば私の周りをうろついては隙を窺っているのである。嫌だっつってんのに!
近寄るなコラ!
まるでストーカーだ。あぁ恐い。ーそういえば、ストーカーって強化された蚊みたいなもんだな。
とにかく私は虫が大嫌いなのである。
あの細い細い、ぷちっと切れそうな足。(美人の細い足は魅力的だと感じるのに!!)
おぞましく揺れる触覚。(猫のヒゲならキュートだと感じるのに!!)
感情の感じられない無機質な感じ。(AIBOは可愛いと感じるのに!!)
どれをとっても気持ち悪い。
そう、もし虫君達が私並みの知能を持っていたら「そんな理不尽なっ!!」と思うような理由で、
私は虫が大嫌いなのである。
でも、理不尽だろうがなんだろうが、嫌いなものは嫌いなのである。
何度でも繰り返し言おう、私は虫が、大嫌いだ。
なんて繰り返し「嫌い」と言っているわりに、実はカマキリは平気で触れちゃったりするのである。
実は実は、カブトムシも平気で手の上に乗っけられたりするのである。なぁんだ。
さらには、玄関前でひっくりかえっていたセミを素手でつかんで、近所の桜の木まで運んであげたり
するほど、私は優しいのである。なんて素晴らしい人間なんだ!ブラボー!
要約するに、私は虫嫌いと言っても、全ての虫が嫌いであるわけではない、という事である。
で、どんな虫が嫌いでどんな虫が嫌いではないか、というと・・・。
嫌いな虫・・・・・・・・・・・・・・・・・・・蟻、蛾、ハエ、ゴキブリ、蚊
嫌いというわけではない虫・・・・・バッタ、カマキリ、セミ、カブトムシ
(見ているぶんには良いが、近寄ってこられると虫酸が走る虫・・・・蝶、蜂)
こうやって書き出してみると、案外分かりやすい分類である。
つまり、自分や自分の家の台所等に近寄ってくる虫が嫌いであるらしい。
恋愛は、追い掛けられるより追い掛ける方が燃えるタイプです。・・・?
先日、母が、台所の傍の窓にとまっている虫を見付けた。
はじめ、母がその虫を見てハエだと言ったので、少し離れたソファに座っていた私は、
「アースジェットでやっつければ。」
新聞を読みながら、タルい口調でそう言った。慈悲も何もあったもんじゃない。
その「ハエ」にとっては、正に生きるか死ぬかの大問題であるが、そんなもん
私にとっては「その場の気分」によって答えが左右される程、小さな問題なのである。
そう考えると・・・・・・そう考えても、別にどうという事は無い。
私はハエではない。
が、その虫もどうやらハエではなく、ハチであったらしい。
ハチと言っても人を刺す事はない、割と人間にとって無害な種類のヤツである。
それを知った私は、「ハチだけどアースジェットでやっつけちゃおうか?」という母に向かって、
「えー、やめなよ、可哀相じゃん。」
と言ったのであった。
我ながら、すごい差別である。似非ヒューマニスト万歳。
が、まあその差別の御陰でハチ君は命拾いをしたわけである。
母は、少しあたりを見回して、傍にあったコップを手に取った。
コップでハチを捕まえて、外に出そうというわけである。
ぶち。
それは見事に瞬殺であった。
コップの縁が、ハチの頭を捉えていた。
分かりやすく言えば、少し目測を誤って窓にあてられたコップが、ハチの頭を潰してしまったのである。
とてもギリギリのラインを辛くも乗り越えて命拾いしたその
ハチが、結局は、誰の意思でも無いのにその命を落とした事を考えると、
私はこう思わずにはいられない。
そのコップ、ぜってー二度と使わねー。
(終)
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