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なまこを食す


なまこを食べた。
別に食べたかったわけでは無い。
では無いが、食卓にのっていたのだ。
しかも、これが大皿に乗っていたのなら気付かなかったフリをして食べずに済ます事も 可能であるが、わざわざ御丁寧に小皿に分けて目の前にあった。
『貴方の分ですよ。』と。
・・・これは食べねばなるまい。私は分別ゴミの日を知っているオトナなのだ。
「何でなまこなんて買ってきたのォ〜?」
一応、微妙に文句の意味合いを込めて母に尋ねてみると、
「安売りしていたのよ。」
という返事が返ってきた。
安売り、か。と私は思う。世間のどれほどの主婦或いは主夫がこの「本日限りの安売り」 や「今週のお買い得商品」に惑わされているのだろうか。 冷蔵庫の中で賞味期限が過ぎて捨てられる確率が高い品物は、「安売り」 「値引き」商品であるという報告もなされている。 得した気分で必要の無い物を買ってしまうー安売りの魔力である。 もっとも欲しい物が安かった、とか、或いは安かった物を使って夕食のメインディッシュに しよう、なんてことであればそれは望ましい事なのだろうが、今夜の酒の肴としての 「なまこ」は、私にとってはどう良心的に考えてみても不必要な物でしかなかった。
こんなもの、珍味という名のゲテモノだ。
安売りという存在に少しだけ恨みを抱いてしまう。
が、そんな事をしてみても目の前に「なまこ」という物体がある事実には何の変わりも無いわけで。
私は覚悟を決め、なまこの入った小皿に手をかけた。
酢で味付けしているらしく、鼻を突く匂いがする。
少々生臭い気がするが、「磯の香り磯の香り」と自分に言い聞かせて箸をつける。

コリッ。

結論から言うと、それは決して不味い物ではなかった。
だがしかし、細切れになって元のグロテスクな格好を彷彿とさせる要因は 殆ど無くなっているとはいえ、これは「あの」なまこなのだ、という意識から逃れる事は出来ず、 結局私は半分ほどを一気に口に放り込んで残りはこっそり母親の小皿に入れてしまったのであった。

考えてみれば、我々日本人は「納豆」やら「あん肝」やら「生魚(刺身)」やら、その文化が 無い国の人々から見ればゲテモノ以外の何物でもない物を日常的に食しているわけであり、 私が(不味くはなかった)なまこを気持ち悪いと思うのも個人的な「常識」に囚われている 結果なのであろうが、そうは言ってもやはり感覚というものは理性に先立つようで。 「なまこ」の一部がやがて体内に吸収されて私の血となり肉となるのかと思うと 吐き出したくなった。貴方の体の0.02%がナマコによって作られています、とか。うっ。 なまこを食べてみるという冒険をしてみたその後も、 「なまこはゲテモノ」という意識は変わらないのであった。

なまこ業者の人、ごめんなさい。

<終>

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