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ペットを食う


とある場所に、猫がいる。
何故居るのかは分からないが、割と高い確率で、彼等は其処にいる。
彼等なりの深い理由があるに違いないが、私は他人のプライバシーに踏み込む 悪辣な趣味はないので、いずれ彼等が話したくなる時まで理由は尋ねない事に している。
さて、私は猫を飼っていないが、キャットフードを常備している。
無論、自分で食べるため、ではない。
猫君達に食べて頂くのである。
そう、当たり前の事だが、キャット(猫)のためのフード(食料)であるからキャットフードなのである。
私が食べたらナイス・フードになってしまう。
ナイスな奴らの為のフードである。
しかし、ナイス・フードと言われたら、ナイスな奴らの為のフードというより、どちらかというと ナイスなフード(美味い食い物)といった解釈の仕方をする人達の方が多いのではないだろうか。
そう考えてみると、キャットフードというのも「ミケとタマのための食料」ではなく、 猫な食べ物、と解釈する事も出来るのではないか?
猫な食べ物、猫チックな食べ物、すなわち、主原料が猫である食べ物である。おえっ。
念の為原材料を見たが、どうやら猫は使われていないらしかった。
しかしここに来て、私の空想癖が顔を出したりする。
次第に馴れて来て、私の前で無防備にキャットフードに食らい付く彼等を見て、
(げへへへ・・・罠とも知らずに掛かりおったな。)
1人にたにたと笑う図は、自分でもちょっと怖い。
あ、でも純粋に猫好きです。っていうか哺乳類全般好きなんです。ただの害の無い空想です。
猫を食べたいだなんて、そんな気持ち悪く残酷な事しません、絶対。

しかし、猫は食べなくとも、ブタは食べるのである。
豚肉、一昨日も食べた。昨日は魚を食べた。あぁ、なんて残酷なんだろう!!
ちなみに明日はステーキの予定である。牛まで食べるのである。
そう、猫を食べたいと思う人間がいたとして、それを残酷だと思うのはナンセンスなのである。
それなのに、猫を食べた人間が目の前にいたら、やはり私は嫌悪感を露にしてしまうのだろう。
何故だろう?
恐らくそれは、猫がしばしば、愛玩動物(嫌な名称だが)として飼われているからであろう。
牛を飼う家庭が多くなれば、食料として牛肉を買う事に抵抗をおぼえる人間達が増えるに違いない。

ーと思ったが、そういえば、私は鳥を飼っていたのだった。
ちなみに今日の夕食は、鳥肉のから揚げであった。
ペット食ってるじゃん。
しかも何の疑問も無く。
から揚げ、美味かったです、ハイ。
どうやら食べるか食べないかは、ただの習慣らしい。

私は我が家のペットであるその鳥を、はっきりいって愛しちゃっています。
ペットという言葉に抵抗をおぼえる程度には大事に思っているんです。
しかし、鳥肉や卵を食す事に何らかの疑問や抵抗を持った事はないのである。
我ら人間という種の頭の中では、愛情と食欲は、矛盾しないで成立するらしいのである。
便利な事である。
そう考えてみると、もしかして私は食糧危機になった時、自分が生き延びる為なら 何の抵抗も無く人肉を食べるのではないだろうか?
恐らく・・・食べるのであろう。
しかし、雑食の動物は不味いという。

やっぱ・・・食べたくないや。

<終>

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