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通勤ラッシュ考

転職をして方角が変わったので、魔の通勤ラッシュにさらされることになった。
通勤時間は約1時間。

同じ物を取ろうとして思いがけず触れた手にドキっとする。

そんな世界があるのが信じられないほど、見知らぬ人と密着するわけである。
なんでこんなに人間が多いのだ。
時差出勤をしろ時差出勤を。
さもなきゃお前らみんな風邪でもひいて家で大人しく寝てろっ!
・・・私を見て、そう思う人がいるのだろうと思うと、心が痛む。
というか、肋骨が痛む。圧迫されすぎてひびでも入っているんじゃなかろうか。

こんなに混んでいるんじゃあ、スリだって財布に伸ばした手が挟まれて動けなくなりそうだし、痴漢だって女性に伸ばした手がオヤジのお尻に挟まれて動けなくなりそうだし、まぁ犯罪は結構少なそうな気はする。
が、その代わり、やはり病人怪我人は多いのだろう。
今までは反対側のホームのラッシュを見て人の不幸は自分の幸せとばかりに鼻で笑っていたのが、いざ自分が通勤ラッシュを経験してみると酸欠状態で、鼻で笑うための呼吸すら惜しい。
ちょっと微妙な位置に立ってしまうと、ありえない捻りを加えた格好で固定されてしまうときもある。
今この瞬間の私だけを取り出したら、さぞかしオモシロポーズになっているに違いない。
そんな苦行も、ヨガの一種だと思えば少しは気が楽になるのだろうか。
酷いときは揺れでよろけて上げた片足の下ろす場所が既になかったりすることすらある。
軽やかなステップを踏んでしまったり。
これも椅子とりゲームの一種だと思い込めば少しは面白いのだろうか。
否。気は楽にならないし特に面白くもない。
常に己と戦っているカッコイイ私だが、この時ばかりは他人が敵だ。
この直径40cmの空間は誰にも渡さん!
いやこれもかっこいいな、自分。

そんな風に、大海の荒波にもまれるラッコのごとく人の世界を泳いで渡り、 そうしてなんとか会社に着いたときには既に、一日分の体力の大半を使い果たしている。
そりゃ転職してまだ数週間しか経ってないのにPCの前で一瞬意識が飛ぶというものだ。 決して前日、2時までスパイダソリティアをやっていた所為ではない。
会社でうとうとしたりコーヒー飲んだりで少しずつ少しずつ体力を回復させて、 帰りの電車分の体力くらい溜まると、定時になっているので帰るわけである。
何というか、無駄である。非常に無駄である。
もっとも会社にいる間は「勤務時間」で給料が入るわけだから、例え会社の役には立たなくても私の役には立つのだが、全ての元凶である通勤時間は私にとっても人生の無駄である。
具体的には片道1時間なので、1日あたり2時間が通勤時間として消費される。
1週間で10時間。
1ヶ月で40時間。
1年で500時間。
それだけの時間が無為に過ぎていく。 長くはない人生、これで良いのだろうか?
いや、良いわけがない!
人生もっと有効に使わなければならぬ。
土日になるとひたすら寝ているかもしくはスパイダソリティアをやり続けている人間とは思えない建設的な意見である。が、前向きなのは悪いことではない。

というわけで、とりあえず、「どうやって満員電車の通勤で効率的に時間を使うか」を考えることにした。

当然座れないので、以前のように寝ることも出来ない。従って寝たふりも出来ない。
寝ない場合は読書、といきたいが、それなりに混むので本を開くのもままならない。
じゃあ音楽を、と思うが、人に迷惑をかけるのは駄目よとママに言われたので大音量で音楽を聴く訳にもいかない。困ったものである。
目も耳も使えないとなると、人間かなりやることが限られてくる。
さて、手も足も目も耳も使えないとなると、私には後、何が残るのだろう。

思い出だけさ。

・・・さて、正解は『脳』。
手も足も目も耳も使えない私には、脳みそが残るわけである。
お前は脳みそも使えないだろ、とか心無いことは言わないで欲しい。

この残った脳みそで、如何に効率よく時間を使うか、ということになってくる。
気を許すといつものように、くだらないことか、或いは非常にくだらないことか、そんなことくらいしか考えられないので、集中して何か目的を決めて脳を使う必要がある。

さて、何を考えよう。
まずはそれを考えることから始めよう。
というわけで、私は満員電車の中で考え始めたのだった。

受身の思考(暗記や勉強)は読書と同じく元の資料がないと出来ないので、満員電車では自発的な思考でないといけない。
創造的な思考ーークリエイティブシンキングだ。英語に直してみたことに意味はない。
英語か。英語ね。
今度の職場では、海外出張も夢ではない、らしい。
海外出張に行くなんて、ヤリ手のビジネスマンみたいでかっこいい。
是非とも海外出張に行くイケてる人になりたいが、では海外出張に行きたいのかと問われたなら、勿論行きたくないのである。だって英語、話せないから。
『他の人間と完全に理解しあうことは出来ない。人間とは孤独な生き物だ。』
そんな台詞を時々耳にするが、贅沢な悩みだ。
自分が非日本語圏に放り出された時のことを考えたら、とりあえず日常会話だけで良いから伝わってくれ、伝わってください、伝わってくれたら万々歳。もう私は孤独だとかカッコイイコト言わないから。
そんな風に謙虚に思うはずだ。

・・・いかん、建設的なことを考えるつもりが、いつの間にかくだらないことを考えていた。何を考えるか、だったか。
そうだなぁ・・・。
何かアイデア商品でも考えて特許でも出して金が自動的に入ってくるようなのってイイナ。アイデアアイデア・・・。

この混雑を一気に解決するような何かこう、コペルニクス的発見のようなアイデアとかないかな。何か常識の死角みたいな。で、文部科学省のナントカ奨励賞とか貰って・・。
・・・文部科学省ってあったっけ?文部省?あれ?
確か大蔵省も今は名前変わったんだよな。

こうやって名前を変えてほんの少し組織編成を変えたところで、本質的な部分に変化がなければ全く効果が無い。前の会社も毎年、組織名が変わっていたが、本当に名刺以外、変わったものは何一つ無かった。
アレは本当に、なんのために毎年変わっていたんだろう。
偉い人の親類に印刷業界の人がいたか、あるいは仕事がないから無理矢理組織変更して雑務を増やしていた使えない管理職がいたか、どちらかだろう。
御蔭で自分の所属部署をいつまでも覚えられず、退職届に書く部署名を間違えて提出して、2回もつき返されてしまった。(実話)
流石に3回も退職届けを出してもらったのは初めてだ、って人事の人に言われたが、アレには自分でもウケた。

・・・はっ!いつの間にかまたくだらないことを考えていた。
時には人生過去を振り返り、自省するのも必要だが、今はクリエイチブを目指しているのだ。いかんいかん。
ここまで混んでいると思考も散漫になってしまうものなのだろうか。
確かにコケそうになって踏ん張る時などは
「あーーーーヤバイヤバイヤバイ」
体が曲がってしまったときなども
「イタタタ・・・ヨッコラショっと」
思考が中断し、頭の中で信号が言語になって飛び交ってしまう。
肉体と精神を完全に分離することなんて出来ない。
痛いときには痛いと思うし、痛いと思えば同時に他の事など考えられなくなる。
人の鞄の角が脇腹にあたったりした日には、ちょっとした拷問を受けているようだ。
この脇腹、というのがいけないんだな。これがもう少し後ろの腰のあたりだったり、或いは肩甲骨の辺りだったりしたら、結構気持ちいいのではないだろうか?
満員電車に乗っていれば、どうしたって人と接触するわけだし、電車が揺れれば多少なりとも誰かに負荷をかけてしまうものだ。ならばいっそのこと、それぞれが近くの人のツボを押すようにすれば、良い世界になるんじゃないだろうか。
・・・。
・・・・・・。

・・・だから!!
そんなとりとめのない思考じゃなくて、「あぁこの電車の時間を有意義に過ごしたな」と思えるような何かを見つけなくては!!
雑文ネタでも考えるか。

せっかく転職したのだから、それにまつわる話とかどうだろう。
いやネタにするほど面白い話もなかったかな。
まぁ敢えて面白い話と言えば・・・普通の転職なのに花束を3つも貰ったこととか。 これも私の人徳のなせる業というものだ。ハッハッハッ。
後は・・・そうそう、退職届を3回も書いたこととか。
かと思えば転職先に提出した書類も印鑑不鮮明およびパスワード未記入で2回も送り返されてきたこととか。
しかしどうして私は書類とあんなに相性が悪いのだろうか。
何か「書類は間違えなくてはいけない」というおかしな強迫観念でもあるのではないかと思うときもある。
私の前世はもしかしたら・・・何だろうな。書類間違える人って。
というか人だという前提で考えている時点で思い上がりである。
絶滅危機種が増えて人類は増加しているわけだから、前世は人外という可能性だって大いにある。
この場合、どこまでを動物と考えるべきだろうか。動くくせに光合成をするミドリムシは生まれ変わりの輪に入っているのだろうか。粘菌はどうだ?
いやそもそも生まれ変わりは動物だけか?植物も入るのか?もしや無生物も入ったりするのか?


私の前世は雲母でした。




・・・・結局、雑文ネタを考える前に思考がとりとめのない方向へ進んでしまい、駄目であった。苦肉の策として、それ自体を雑文にしてみたのだが、どうだろうか。


・・・どうだろうかと言われてもねぇ。


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