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この偉大なる存在について、とうとう語るときが来た。
酒。

私の乾いた心に潤いを与えるオアシス。
ただし代償として、翌日には強烈な喉の渇きに悩まされることになる。

平日には晩酌として、自宅で小さいコップに1、2杯程度飲むのが私の習慣である。
別にないならないで構わないし、実はそんなに好きなわけではないかも、と思う 時もある。 また、飲んでしまうと多少思考能力も落ち、時間が勿体無いと思うこともある。 だが結局毎晩のように、たしなんでいるところからすると、 やはり酒好きなのかもしれないし、そうでなければ軽度のアルコール中毒だったりするのかもしれない。
・・・アルコール中毒になれば、多少変な行動をしても、まわりの人間からは労わりの目で見守ってもらえるのだろうか。

ちょっとおかしな方向に思考が飛びかけたが、まぁ考えてみただけだ。あまりに毎日正常な行動ばかりしていると、人間どこかで発散したくなるものなのである。なりますよね、そうですよね。

ちなみに、家でひとりで飲んでいて飲みすぎたかなと思ったとき、自分がどれほど酔っているのかを確かめる方法として、「目玉オヤジ」の真似をする、というのがある。
ひとりで甲高い声で「オイ、キタロウ」と言ってみて、恥ずかしさを感じれば、まだ自分の理性が保たれていると判断する。
ただし、恥ずかしくなかったことなどないので、もしかしたらこの判定方法は全く効果がないものである可能性もある。
それに間違って人前でやってしまった日には激しくイメージダウンなので、気をつけよう。
イメージダウンにならなかったら、それはそれで嫌だが。

ところで私は酒を飲んでも顔に出ない。
顔に出ないだけで、特に強いわけではないのだが、何故か顔に出ない。
別段、顔に出なかったり酒に強かったりするのは自慢できることではないと思うのだが、何故か「顔に出ないね」と言われると褒められた気がする。
「字が汚い」とか「口が悪い」とか言われると、やはり褒められた気がするから、もしかしたら私はー。

良い人なのかもしれない。
もしかしたら、だけど。

まぁ多分、単純に、顔に出なければアルコールを飲むのを止められないのが嬉しいだけだと思うが。
だが、この「酒に強くは無いが顔に出ない、だから人から止められない」という現象は、時として私に悲劇をもたらすこともある。
と大げさに言うほど大した話ではないのだが、私にも「よくある酒による失敗」というヤツが、今までの人生で二度ほどあるわけである。

・大学4年の研究室配属の初顔合わせで酔って研究室で前後不覚になった(寝てしまった)
・大学院の初飲み(夏)で酔って、電車で寝過ごし、自宅から10駅ほど離れた駅で一夜明かした

どちらも「初」顔あわせ、「初」飲み、と、これから人間関係を築いていく、そのスタートラインでコケた、という楽しい事件である。
このように2度続いたのだが、3度目、会社初飲みでは流石に気をつけて臨んだ。
入社していきなり窓際だったりしたら堪らないからである。
その甲斐あって、会社「初」飲みは無事、何事も無く過ぎたのだった。
それから既に数年経ったが、私は飲み会で大きな失敗もせず、平穏無事な日々を過ごしている。
飲み過ぎないように、終電に遅れないように。
社会人ともなると、色々と気を遣うのだ。
その他にも、社会人となってからは、平日の飲み会の誘いは極力避けている。
酒が好きなだけで酒の場が好きというわけではない、というのも勿論あるが(嫌いではない)、外で飲んで遅く帰って、その結果十分な睡眠が取れない場合は、次の日に影響するからである。
繰り返すが、顔には出ないが強いわけではないので、二日酔いになるのだ。
無論、飲み会に参加だけしてアルコールを飲まないという手もある。
そんな極端な行動をしなくても、そこそこで止めておけばいい。
だが、分かっているけど止められない事というのが世の中にはある。
夜更かし、食事前の冷蔵庫漁り、テスト前の読書。
そして、飲み会での飲酒も、その中の一つだ。

飲み会では食事にはあまり手を出さない(出せない)のだが、目の前にあれば所有権を主張できる酒だけはいつもしっかり飲む。
酒を飲まないと損な気がする。貧乏人。
基本的に飲むと無意味に楽しくなってくるから、きっと脳内では良い感じにドーパミンが分泌されているのだろう。
ところで、他の人はどうなのだか知らないが、私の場合はかなり酔ってくると、自分の行動が機械を操作する感じと似てくる。
体に要求される以上の水分を入れたからには当然排出要求が起こる(つまりトイレだ)わけだが、飲み屋のトイレに行くときなどは、
「トイレに着くのに一度左に曲がったから帰りは一度右に曲がれば戻れる」とか
「体を縮めないとこのドアの開きでは入れない」とか
「この水道はまわすところがないから自動式だな」とか
つまり、いつも無意識にやっていることに対し脳からの指令が必要になるので、どうやって体を動かしているのか 少しわかる気がするのである。
私は良いロボット製作者になれるかもしれない。
ちなみに、そんな風に考えながら行動しているのにも関わらず、私は時々トイレでどこかぶつけて腕やら足やらに痣を作ったりする。
・・・良いロボット製作者にはなれないのかもしれない。
ちなみにそんな痣を作っても、その瞬間はあまり痛くない。気付かない時すらある。 アルコールの麻酔効果を身をもって証明。
誰か、そんな私の勇気ある行動を称え、一升瓶でも持ってきてくれないものか。

閑話休題。
そんな感じで飲み会ではいつも貧乏根性で酒を飲んでしまうのだが、先日ふと思った。
思わなければいいのに、思いついてしまった。ひらめいてしまった。
「私は飲み会で一滴も酒を飲まないだけの自制心を保てることが出来るだろうか」

あーもう本当、そんなこと、思いつかなければ良かったのに。
だが、思いついてしまったのだ。
これはもう実践するしかない。

・・・というわけで、先日の会社飲み会で私は、鏡に向かって威嚇する猿のように、己との戦いに挑んだのだった。

酒瓶を持ってきて私に酒を勧める悪魔共(=何も知らない会社の先輩達)。
ビール、日本酒、ワインに泡盛。
その誘惑をギリギリのラインで振り切りながら、ウーロン茶片手に自問自答を繰り返す私。
「私は、己の限界に日々挑戦し続ける、輝いている人なのか。 それともただの、馬鹿なのか。」

答えは、私の飲まない理由を聞いた、周りの人たちがくれた。

「あんたは馬鹿だ。」



そんな風に馬鹿にされたのが原因というわけでは勿論決して断じて違うわけだが、つい先日、この同僚達と別れ、転職することにした。
それで、部のメンバーがお別れ会と称した飲み会を開催してくれたのだが、その席で、私は飲んだ。かなり飲んだ。というほど実は飲んでいないのだが、お別れ会だというのに常に無いさわやかな笑顔満載で飲み続けた結果、私はかなり酔っ払ったのだった。ドーパミン大放出。

みんな、今まで有難う〜!感謝感謝!あいらぶゆー!

こうして数年間お世話になった会社での、最後のイベントも、無事終了。
「終わり良ければ全て良し」という言葉もあるように、笑顔の思い出で終われるのは素晴らしいことだ。
・・と、良い気分で皆と別れたのだが、時計を見ると、いつものルートでは電車が無い。
仕方なく違う電車に乗ったのだが、如何せん酔っ払っている。
酔っ払ったらとりあえず寝る。
今までのパターンどおり。

そして起きたら見慣れぬ駅に着いていた。
・・・どこだここは。
「当駅の本日の運行は、全て終了しました。」
非情なアナウンス。

冬なので、屋外で始発まで待つわけにはいかない。
知らない街なので、どこに何があるか分からない。
何より酔っているのでとりあえず落ち着きたい。
結局、駅前の交番でビジネスホテルの場所を聞き、一夜の暖をとることになった。
勿論、初めての経験である。

こうして、数年間お世話になった会社の思い出は、最後の最後で塗り替えられた。

「送別会で酔って家に帰れなかった」

人生3度目の、酒による失敗談である。


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