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若白髪

ある日。
私は、鏡の中に驚くべき物を見付けた。
ただし正確を期すならば、驚くべき物は鏡の中ではなく、鏡に映った現実世界の 方に存在した。
それは私の頭皮にへばりついていた。
それどころか、頭から生えていた。
私の養分を糧に、成長していた。

こんな風に、「衝撃の結末」前のCMみたいにひっぱってみても、その正体など 誰もがお見通しだ。CM後のスタジオだって別に騒然としない。
題名に書いてある。
だが問題はそこじゃないんじゃあないのか?と私は思う。
果たして鏡のこちら側が現実なのか、それともこちらが向こう側の影にすぎない のか。

いや、そもそも現実の定義とは何なのか。
「自分」とは何なのか?

私が私以外の人間の実在を証明することが出来ない以上 (それが「己」の感覚器の異常からくる幻覚ではないと誰が証明できよう?)、 他人が私の存在を証明することも不可能である。 つまり、私の実在を証明できるのは私のみである。 しかしながら、私は私の感覚器を通してのみ、世界を知覚することが出来、 そして、その「世界」と唯一隔たりがあるものとしてのみ、自分を定義することが出来るのである。 つまり、私がここに在るという「現実」を規定できるものは自分以外にありえないにも 拘わらず、そうするためにはその存在の証明が出来ない外界の存在を前提にしなくてはならないのである。 そう、こんなふうに、「自分」とは酷く不確定なあやふやなものなのではないだろうか。 そんな不安定な存在である自分のいる世界=こちらの世界と鏡の中の世界とが等価ではない という証明は不可能である。 がしかし、そんなことが在りうるのだろうか? がしかし、しかし・・・・。

しかし、そうやって哲学ぶって逃げてみても虚しいだけだ。

私の頭から1本若白髪が生えている。それが現実だ。


光の加減か?と無駄に頭をひねりまわしてみたが、光をどう加減しても それは黒い狼の群に紛れ込む白い羊のように白かった。 そう考えてみると、ちょっと健気な気もする。
が、とりあえず引っこ抜いた。ざまあみやがれ。
その重さ分、体重と心が軽くなった。

だが不思議だ。
確かに、私には自分の美しい顔を鏡でじっくり眺める癖などない。
がしかし、こんなにはっきりした白髪を、こんな長さになるまで見付けずにい られるものだろうか?
大体20cmくらいある。
引っこ抜いた髪の毛をしげしげと見つめてみたが、根本からしっかり白である。
これでは言い訳のしようがない。
紛れもなく、シロである。
こいつは一体いつどうやって出現したのだろう?

知らず 明鏡の裏
何れの処にか秋霜を得たる
(この鏡に映る秋の霜のような白髪は一体どこから現れたのか、私にはわからない。)

と、かの李白も言ったらしいが、私だって分からないと言う点では李白と 同レベルを保っている。
だが、私は、分からないものを分からないままで済ませる気はない。
この白い細長い物体の出生の謎に迫っていくことにする。

そういえば、恐怖のあまり、一夜にして総白髪になる、などという話も聞いたことが ある。私の若白髪もソレ(一夜にして出現した)かも・・・。

早速調べることにした。
が、結論から言うとこれは、
「科学的にありえない。」
らしい。
以下、10行ほど、科学講座。

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白髪の発生原因は、メラニン顆粒が角化細胞に転送されなくなる事にある。
なぜそういう現象が起きるのかは、まだ充分には解明されていない が、 以下のような毛球部の色素細胞系の変化が指摘されている。

・メラノサイト(色素系細胞)の数の減少、または消失
・メラノサイト内のメラニン形成酵素の減少、または消失
・メラノサイトから角化細胞への、メラニン顆粒の移動の阻害

メラニン顆粒は化学的にも非常に安定した物質であり、短期間に消失することは 理論的には信じがたく、仮に恐怖やショックで白髪化は起こっても、 一夜にして総白髪になるとは科学的には考えられず 、少なくとも数ヶ月を要する。
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「充分に解明されていない」のに何故「科学的には考えられない」と言い切れるのだろう。
「理論的には信じがたく」の理論は、一体どこから湧いて出た理論なんだ?
ハゲのオジサンから一本だけ白髪が生えてきたら一夜にして総白髪、とは言わないのか?
などなど、いろいろツッコミたくなる記述も多いが、まあ私だって 地球が丸いことを信じているクチである。
世の中の「常識」的には「一夜にして総白髪になるのはありえん」というのなら、 まあほとんど可能性は無いんでしょう。
この忌々しい「理論」からすると、一本の髪の毛にだって例外は認められていない ようなので、私の若白髪も「たったの一夜で出来ちゃった♪」ものではないのであろう。
髪の毛は一日に平均0.4mm伸びるというから、大体20ヶ月は寝食を共にした仲な訳だ。
そんな長いつきあいであったソレを、そうと知らずに私は抜いてしまったのだ。
だが、沸き起こる悔恨の念を、私は必死で抑えつける。

だって、もう一本若白髪が生えてきたら嫌だから。


結局、私の若白髪は一夜にして出来たものではないらしいということだけは 分かったが、では何故出来たのか、というと、これが全く分からなかった。
というか、「若白髪がどのような理由で発生するのか現在のところ全く解明されていない」という記述を見付けただけであった。
私は早々に、「若白髪の出生の秘密」を探ることを諦めた。


こんな風に、私は意気地がなく、自分自身で若白髪の秘密を探ることを諦めてしまったのだが、 きっといつか、どこかの若者が、代わりに若白髪の秘密を解き明かしてくれることを 切に祈っている。


「おい、吉岡君、見てくれ給え!私はついに、若白髪の秘密を解明したぞ!!」
「・・・所長、そのサンプルは・・・」
「勿論、私のだ。」
「・・・・・・・。」
「どうしたというんだね?」
「所長・・・。」
「言いたいことがあるならはっきり言い給え!」
「所長・・・。所長のそれは、もう若白髪じゃなくて、ただの白髪なんですよ!!!」



知らず 明鏡の裏
何れの処にか秋霜を得たる


今回はちょっとしんみりと締めてみました。


<終>

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