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知らなければ良かった


貴方と出会うことがなければ、 こんなに辛い思いをすることもなかったのに。

降りしきる雨の中、彼女はひとり立ちつくす。



ーいっそのこと、人を愛することを知らなければ良かったー



私は真実を愛する知識人であるが、 世の中には、確かに、その存在を知らない方が良い事柄が少なからずある。
例えば自分に対する悪口、
例えば引き替え期限が過ぎている当たりくじ、
例えばある朝、母親が床に落としたコロッケを私の弁当にこっそり入れたことー。
それが実は、○○だった、というように、ある事柄の悪い面を知ることで 不幸になるのは良くあることである。

先日も、会社の近くのアジア料理屋に昼食を食べに行き、その直後、会社の同僚に 「あぁ、その店なら、前、ラーメンの中にゴキブリが入っていたよ。」という 話を聞いた時、(あぁ、聞かなきゃ良かった)と心から思ったものである。
その話を聞かなかったところで、 「ゴキブリが出た店で御飯を食べてしまった」 事実に変わりはないのだが。
が、やはりこういったことは、『知らない方が幸せ』な事実なのである。

このように、 自分にとって悪いことを知らなければ良かったという感情は、 理にかなっているし、とても分かりやすい。
だが、知らない方が幸せなのは、悪いことばかりではないのである。

この世界には、素晴らしいものが沢山存在する。
そして人々は、本能的に、それを追い求めるものである。
だが、素晴らしいものに触れることは、必ずしも幸せなことではない。
その素晴らしさを知ることで、我々はそれが得られなかった時の悲しみや 失った時の恐怖をも知ることになるのである。

ー人を愛することを知らなければ良かったー

なるほど、尤もな意見である。

一度美味しい酒を飲むと、他の酒は不味くて飲めなくなると言う。
「そんな美味しい酒を飲んだの?いいなぁ。」
人は羨むかも知れない。
だが、それは多分、不幸せなことなのである。

とても肩もみの上手い人に肩を揉んでもらえば、その後、誰に肩を揉んでもらっても満足に思うことがなくなってしまう。
「そんなに気持ちの良い思いをしたんだぁ、いいなぁ。」
人は羨むかも知れない。
だが、それは多分、不幸せなことなのである。

一度宝くじに当たり、一時的に豪勢な暮らしをした人は、その後、真面目にコツコツ働くのが馬鹿らしく思うのであろう。
「宝くじ当たったことあるの?うわぁラッキーなヤツだな。」
人は羨むかも知れない。
だが、それはもしかしたら、不幸せなことなのかもしれない。

私の友人で、梅干しを食わず嫌いの人がいる。
私は彼女のことを、人生の0.5%程度は損している可哀想な人だと常々思っていた。
だが、梅干しが買えないほどの金欠ならいざ知らず、 梅干しの美味しさを知らないから食べないのであるならば、 それは別に不幸せなことではないのかもしれない。
むしろ、コンビニで最後の梅干しおにぎりに手を伸ばそうとした時、他の人に 取られてしまい悔しい想いをする、という経験をしないで済む分、彼女は 幸せなのかも知れない。


貴方と会わなければ、失うかもしれないことへの恐怖を知ることもなかった。
そう、多分、それはひとつの真実なのである。
ー梅干しの味を知らなければ、それが食べられない不幸せを味わうこともない のと同じように。

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