戻る
靴と足
普通の人間なら、普通の生活を送る上で、
洋服のサイズが合わないからといって圧死しそうになったり、
パンツのサイズが合わないからといって憤死しそうになったりすることは殆どないが、
靴のサイズが合わないことにより、もう歩けない助けておかあさーんとなることはある。
かく言う私も高校生の時、新しい革靴を履いた日に、靴擦れで血だらけでもう歩けない助けておかあさーんになった事がある。
その時は自宅には誰もいなかったし、タクシーに乗る知恵なんてなかったので(あれは一部のお金持ちだけが使える乗り物だと思っていた。ちなみに実は今でも思っている)、
歩けない歩けない思いながらも結局は足を引きずりながらのろのろと歩いて帰ったわけだが、あれは本当に、タグのついたままの服や穴の開いたパンツ程度では起こりえない肉体的苦痛であった。
足のアキレス腱の下あたりが靴と擦れ、両足とも靴下に血が滲み出ていた。
あの時、私はどうすれば良かったのだろう。
傷付きたくない。傷付けたくない。
そして、私はそうしないで済む方法を確かに知っていた。
そう、靴擦れの原因は無論、靴と足の形のズレなのだから、靴を脱いで裸足で歩けば解決なのである。
分かっていた。だけど、そうしなかった。
そうしなかったのは、他人の目を、外聞を、気にしていたからである。下らん。
他人の目や、外聞がどうであろうと、私がスーパー素敵人間であることに
変わりはないのだ。
そう分かっていても、やはり人目を気にして靴を脱いで歩けないのが一般小市民の限界。
どう頑張っても露出狂にはなれそうにない。私の限界。
この小さな事件で、私は己の限界と、靴擦れの怖さを知ったのであった。
ところで、ハイキングなどで「履きなれた靴を履いてきてください」という注意があることからも分かるように、靴は暫く履き続けると慣れていくものである。
靴擦れが出来るような靴でさえ、慣れてしまうこともあるのだ。不思議な事である。
履きなれない靴が履きなれた靴になるのは、靴が足に合わせて変形するのだろうか?
それとも、四角いメロンみたいに、足が靴に合うように変形していくのだろうか。
あるいは靴擦れが出来ないような歩き方を無意識に学んでいくからであろうか。
・・まぁどうでもイイや。
「履きなれた靴」で思い出したが、この夏、ちょっとしたハイキングをする予定がある。
そのため、先日、靴を買いに一人で百貨店に行った。
そして、あちこちの靴屋を一通り見て回ったが、結局一度も試しに履くことすら出来ずに
すごすごと靴下だけ買って帰ってきた。
どうも百貨店の店員がこちらに来そうな雰囲気を察知(あるいは誤察知)すると
反射的に逃げるという小さな頃からの習性が、30歳を超えた今でも抜けなくて困る。
だが、パンツならば試し履きをしない所為で多少サイズが合わなくても構いはしないが(※試し履きしちゃいけません)、
靴の場合は靴擦れという恐ろしい事態に陥る可能性があるため、
試し履きは必須である。
だから、靴の購入というのは、私にとって、とても難易度の高いミッションなのである。
もういっそのこと足の形を登録制にして、一々試し履きなどせずとも足にフィットした
靴のみを抽出提示してくれるシステムが出来ないものか。
あるいは賢いロボが対応してくれる無人百貨店が出来ないものか。と考える。
人類が月に到達してからもう40年(2009/7/20で丁度40年!)にも
なろうというのに、私は靴一つ買うのに何故、こんな苦労をしなければいけないのだろうか。
足の話を続ける。
私は手で字を書く事が出来るのだが、足で出来るのはせいぜい、落ちたものを
掴んで拾う事くらいである。
お前の(手で)書いた字は読めない、と失敬なことを言う輩もいるが、それはまた別の話である。
だから、「足」というとなんだか「手」より劣った、繊細さに欠ける鈍い部位のような気がしてしまうのだが、実際は、足の裏はそれなりに全身に影響を与えるそうである。
昔、足の裏に米粒をひとつくっつけ、弓を射ると、
いつもは百発百中のプロでも的を外してしまう、というTV番組を見た事がある。
撮影されているプレッシャーが原因で的をはずした可能性が無きにしも非ずだが、
バランスを左右する、とても繊細な箇所なんだなぁ、と感心した記憶がある。
確かに、
一晩中背中にボールペンを挟んだまま熟睡して背中を痛めたり、
一晩中顔に本を押し付けたまま熟睡して次の日大変な跡を付けたり、と、
鈍い事この上ない私ですら、靴の中の石ころには、物凄い違和感を感じる。
それで靴を脱いでその異物を見ると、なんてことはない、本当に小さな石だったりするのだ。
人の足というのは案外敏感に出来ているのだな、と思う。
話は変わるが、私は会社のオフィスでは、靴を脱いでサンダルを履いている。
椅子に座っているときはそのサンダルすら履かず、足をぷらぷらさせて
一心不乱に仕事をしていることもある。
(足をプラプラさせているのは、足が短い所為では断じてない。)
なお、脱いだ靴は机の下に脱ぎっぱなしである。
先日、廊下で後輩の梱包作業を手伝っていたのだが、ふと己の足元を見ると、
片足サンダルで片足靴だった。
しかも、両足右足だった。
人の足というのは案外鈍感に出来ているのだな、と考えを改めた。
戻る