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「シンデレラ」について
もしシンデレラが美人でなかったらこの物語はどうなっていたのだろうか。
この深淵かつ普遍的な疑問は、時々私の頭を酷く哲学モードへと誘うのである。
無論、これはシンデレラに限ったことではなく、ジュリエットでもいいし、眠れる森の美女でもいいし、つまりは「美男美女物語」だったらなんでもいいわけだが。
今の時代、「ブス」「醜男」という言葉を使おうものなら、すぐさま「セクハラ」で訴えられる。
「セクハラ」、すなわち「セクシュアル・ハラスメント」。日本語でいうと「性的嫌がらせ」である。
さらに分かりやすく言うならば、「主に薄ら禿げ中年男性に多く見られる不快でイヤらしい行為」(←激しい思い込み)の事である。
つまり、他が同じなら、ブスよりは美人の方が(醜男よりハンサムの方が)いいという自明の理が、今の世間では(表面上)否定されているのだ。
美術品は美しい物の方が価値があるのが当たり前なのに、何故、人間だけにその定義が当てはまらないことがあろう。
確かに、人間は美しさだけが全てではない、筈だ。しかし、美しさも、才能のうちの一つであろう。
そして、世間の人はそれが事実(或いは真実)である事を知っている。
ところで、だ。こんな、「美人=素晴らしい」という凡人にとっては甚だ頭に来る価値観を社会に植え付けたのは、一体だれなのだろう?
それは、私が思うに、シンデレラを始めとする良い子の童話であるというわけだ。
シンデレラの話、知ってる?
知らない貴方にあらすじを教えてあげるとね・・・
「シンデレラは美人なので王子様に見初められて幸せになりました。」
まぁ大体こんな感じだ。
そんな物語を小さい頃から聞いて育つわけだから、そりゃ当然、美人はいいものだという意識が自然と植え付けられるわな。
諸悪の根元は、こういう童話の数々だって思うわけよ。
・・・
いかんいかん、つい、熱くなってしまった。
議題は、「もしシンデレラが美人でなかったらこの物語はどうなっていたのだろうか。」だったか。
継母や義理の姉たちに虐げられながらも健気に生きる少女。その名は、「シンデレラ」。
そういえば、幼い頃読んだミニクイズ集の中に、
「問:12時の鐘と共に脱ぎ捨てられた靴の下にアリが踏みつけられていた。王子が靴を拾い上げた時、そのアリはどうなっていただろう?
答:死んでれら(シンデレラ)」
という残酷極まりない問題があったのを思い出した。
いや、そんなことはどうでもいい。
兎に角、シンデレラは健気に生きていたわけだが、残念なことに、彼女は美人ではなかった。
舞踏会の日、胡散臭い魔法使いが、彼女のボロっちい服を奇麗なドレスに変えてくれ、南瓜(かぼちゃ)の馬車 made by mouse でお城へつれて行ってくれた。
このようにして、シンデレラは無事、舞踏会に潜入する事が出来た。
しかし、悲しいかな。彼女は美人ではなかったのである。
着飾った美しい女性に囲まれて育った面食い王子のお眼鏡に適う筈も無く。
彼女に残された行動は、強烈なインパクトを残すべく12時きっかりに「いけない、魔法がとけてしまうわ!」と安達裕美も真っ青な演技力で叫んで
慌ててお見合い会場を後にする事だけだった。
しかし、そんな彼女の命懸けの行動も、談笑を交わす紳士、貴婦人達の頭の隅に、一瞬「なんか美人じゃない変な奴がいるザマス」とかいう言葉を
通り過ぎさせるだけという虚しい結果に終わり、王子様に至ってはそんな怪しげな女がいたことすら気付かないまま、ねるとんは終わりを迎えてしまった。
だって、美人じゃないんだもん。
そんな美人じゃないシンデレラは、うちに帰ってさめざめと泣いた。
そして、涙を抑えている布切れが、今朝トイレの床を拭いたばかりの雑巾である事に気付き、さらに大泣きした。
ほらね。
こんな物語になってしまうでしょう?
原作の王子様は彼女に一目ボレをした。
ってことは、彼女が美人じゃなかったら、王子様は彼女を踊りに誘ったりしなかったってことでないか。
大体だ、原作だって王子様はガラスの靴でしか彼女を見分けることが出来なかったということであろう?
そんなイビツな形の足だったのか?シンデレラは。水掻きついてます、とか。
魔法使いの魔法って、服だけでなくてシンデレラの顔まで変えちゃってたんじゃない?
王子、ホントにそんな女で良かったの?あんた、顔だけで彼女を選んだんでしょ?
とか文句垂れてはみるけれど、つまりはパンピーの僻み。
なんてことはないぞ。
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