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金は天下の・・・


金は天下のまわりもの
【意味】金銭は一か所にばかりとどまっているものではなく、世間を回って動く。


幼い頃、道端に落ちている小銭を見つけ、大喜びした記憶を持っている人も多いだろう。
「落ちている」ということはおそらく誰かが落としたのだと考えられるが、浅はかな子供は、そんな目に見えない経緯など、気にもとめないものだ。ただ単純に、籤が当たったのと同じように、自分の幸運を喜ぶ。愚かなことだ。
無論、私もそんな、他人の犠牲の上に初めて成り立つ暗い喜びを味わったことがないわけではない。というか、ないわけがない。
親と一緒に歩いている道筋で、日の光を反射して輝くソレを見つけた時の喜びを、私は今でも鮮明に思い出すことが出来る。 なぜ「親と一緒の時」かと言うとそれは、「あ、落ちてるよ。」と無邪気に指をさすだけで、後は親に拾わせることが出来るからである。勿論、親が拾った小銭は、見つけた私の懐に入る。 当時からシャイで小賢しかった私は、危険をおかすことなく最大限の利益を得る術を本能的に会得していたのだろう。
そんな私も今や立派に大人。 落ちている小銭を見つけると、「誰かが落としてしまったんだなぁ」という推測にまで考えが及ぶようになってきた。 ただし、推論能力と共に、根拠捏造能力(=言い訳)も発達してきている。
「でもこんな小銭、誰が落としたかなんて証明しようがないし。大体、自分が拾わなかったら他の人間が拾うだけだし。」
他人の目さえなければ、小銭が私の財布の中へと吸収されていくのは子供の頃と同じである。そう、それに−。

金は天下のまわりものって言うし。

こんな風に、子供の頃と比べ、何ら行動に変化の見られない私ではあるが、外見まで子供のままというわけにはいかない様だ。最近は顔に疲れがにじみ出ているのか、「学生さん?」と聞かれることも無くなった。疲れているのは仕事が忙しいせいだ。 働いて得たお金は嬉しいとか言われているが、働かないで楽して得た金の方が嬉しいに決まってる。 本当は働かないで楽して暮らしたい。とは言うものの、遺産も無ければ犯罪を犯す勇気もない普通の大人が、働かないで生きていくことはなかなか難しい。
というわけで、先日も会社から命じられ、私は宮崎へ出張に行ってきたのであった。これも給料を貰うためだ、仕方がない。 無論、行く前に宮崎の美味い店を調査していったのは言うまでもない。

宮崎という県は、私にとって、あまり馴染みのない県である。
せいぜいピーマンくらいしか連想出来ないし、それだってもしかしたら大分県の名産だったかもしれない。ただし、会社の先輩のうちの一人が宮崎出身であり、帰省する度に、日向夏ゴーフレットを買ってきてくれるから、少なくとも日向夏は名産品なのだろう。

さて、出張当日。仕事関係の同行者AとPM7時に、羽田空港で待ち合わせをする。 飛行機に乗り、1時間ほどで宮崎空港に到着。早いものだ。 PM9時で既に閑散としている空港に、嫌が応にも期待は高まる。 見回してみると、既に閉まっている土産物屋の旗も、福岡名物だとか熊本名物だとか書いてある。
たまらん。
探索すれば、もっといろいろと未知の体験が待っていそうな予感はしたが、今回私は遊びに来たわけではない。同行者もいる。 空港探検を諦めて、ホテルに向かうためとりあえず宮崎駅行きの電車に乗るか、と思った、が、空港脇の宮崎空港駅に着いてみると、なんと40分も待たないと電車は来ないという。しかも、その電車が終電だというから驚きだ。 仕方がない、バスにしよう、とバス停に行ったら、バスも30分以上来ないという。
・・・ありえん。
予想を裏切らないどころか、予想を上回る辺鄙さである。
結局、我々は40分待って、電車に乗ることにしたのだった。
ちなみに、ここで想定外の空き時間が出来たので、私には希望通り空港を歩き回る余裕が出来たわけであるが、10分も経たずに、特筆すべき事項はナシ、という結論が出たのであった。

その後の宮崎を簡単に説明する。

宮崎駅に着き、外に出てみる。その「何も無さ」にビビる。
住宅はあるようだが、それだけだ。宮崎市は宮崎県の県庁所在地であるという私の知識に、誤りがあったのかもしれない、という気になってくる。

翌日、バスに乗る。
「デパート前」という名称のバス停留所があるのに驚く。
どう見ても普通名詞のようにしか思えない単語が、固有名詞としての役割を忌憚無く果たしているわけである。
ちなみに「デパート前」には人目をひく素晴らしい笑顔のマネキンが飾ってあったのが印象に残っている。

宮崎大学にて垂れ幕を発見。
「世界を視野に、地域から始めよう」
とても謙虚で好感の持てるスローガンである。
とりあえず、世界からお越しの皆様にも通じる固有名詞のバス停名にすることから始めて欲しいものである。


さて、以上のように延々と人を小馬鹿にしたようなことを書いてきたが、これは私が宮崎県を馬鹿にしているわけでは決してない。
宮崎出身の先輩個人を馬鹿にするために一所懸命ネタを探しただけである。そういうことに労力は惜しまない。
そんな私であるから、無論、会社の人間に買っていったお土産は、日向夏ゴーフレットと日向夏サブレと日向夏飴。それもこれも、「宮崎県には日向夏以外ないのかヨっ!」と先輩に言うためである。

さて、それでは実際のところ、宮崎には日向夏以外に何も無いのか、と言えば、無論、そんなことはない。宮崎地鶏という名産もあるのである。(←予め調べて知っているのだ。) そこで、同行者Aと、宮崎地鶏を食べに、夜の宮崎市へと繰り出したわけであった。

事前調査から、駅のこちら側に繁華街があるらしい、との情報を得ていたので、そこに向かって歩き出す。 が、歩けど歩けど、照度50ルクス程度の道が延々と続き、所謂繁華街的な明るさを発している場所に近づいている気配がない。なにかがおかしいと思いながら歩き続けていたが、結局、駅から数十分歩いたところで、無事、繁華街を発見。
ほっとした我々は地鶏の店を探して歩き始めたが、歩いているうちに一度、「バー○○子」「スナック××子」などが密集している地帯に迷い込んでしまった。薄暗いが、不健全な匂いは妙に薄い。○○子や××子の平均年齢を知りたいものである。

ようやく目的に合致している飲み屋を発見し、店に入る。
地鶏の南蛮揚げに地鶏のハム、地鶏の唐揚げに地鶏の鉄板焼き。
地鶏尽くしで、どれもこれも大変美味い。
良い気分で食べて飲んで、そして、お会計。

ここで、同行者Aと、「払いますよ」「いやここは奢るよ」の恒例イベントが発生した。
私は彼より若い為、こういう場では結構やりづらい。 本当は他人に貸しを作るのが大嫌いなので折半が良いのだが、今回もまた押し切られてしまった。その結果、一度財布から出した5000円札が、私の手元に戻ってきたのであった。こういうとき、鞄から再び財布を取り出してしまうのは、なんとなく格好が悪い気がする。だから、私はその5000円札を、無造作に持っていた紙袋に放り込んだのであった。

その日、宮崎は雨だった。

ちょっと詩的なフレーズだが、ただ事実を述べているだけである。長崎の天気は知らない。とにかく、その日、その時、宮崎は大雨だった。 ほろ酔い加減で同行者Aとホテルまでの道を歩く。傘は差しているが、肩から下は、びしょぬれだ。
無論、傘を持っているのとは逆の手で持っていた鞄も、そして、紙袋も。

コント的事件は、信号待ちの時に起こった。
雨に濡れてヨレヨレになっていた紙袋の底が抜け、中身が道端に散乱したのである。
多少酔っていた私は、ありそうで意外にない体験(紙袋の底が抜ける)に大喜びをしながら、散乱した荷物をわさわさとかき集めたのであった。



無論、その時の私の頭に、つい数分前に放り込んだ5000円札の存在は、微塵も残っていなかったわけである。



こうして私は図らずも、宮崎県に、私の汗と涙で構成された不純物だらけの結晶を置いてきてしまったわけである。少々勿体無いことをしてしまったと思う。
だが、金は天下のまわりもの、という。
どこかの宮崎県民が、あの5000円札を拾って、幸せな気分になったのなら、それで良い様な気もする。それに。
そう、金は天下のまわりもの、という。
めぐりめぐっていつか10000円札を私が拾う日がくることを、私は信じている。

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