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ツボ

認めよう。確かに、科学や医学は万能ではない。
だが、だからといってそれは、科学や医学で証明されていない存在を信じる根拠とはなり得ない。
勉強が嫌いだからといって、体育が好きだとは限らないのと同じだ。(私はどちらも嫌いだった。)

だから私は、この疑問に立ち向かわなければならない。つまり。

果たしてツボという代物は、本当に効果のあるものなのだろうか。

「だけど、何千年もの歴史があるんだから。」そう思わなくは無い。
しかし、歴史の長さがその実存を保証する因子となりうるのか。
だとすれば、何千年もの間、信じられている神の存在も、私は信じなくてはならなくなる。
だが、神はいない。これは断言できる。
何故なら、もし神がいるならば、今朝飲んだ私のコーヒーの中に羽虫など入るはずが無いのである。
羽虫も悲しい私も悲しいコーヒー豆も悲しい。悲しくないものなど、どこにもいない。
こんな悲しいことが起こるこの世に、神がいるはずが無いのである。

ということは、ツボだって同じ。中国数千年の歴史を持つからといって、その効果は保証されないということになる。
そういえば、先日見たツボ師のチラシにも「確実的な効果」と書いてあった。 ・・・「的」ってのはなんだ、「的」ってのは。まぁ、中国語での「的」は、日本語の「それっぽい」というのとは意味が違うようだが(的 = の[助詞])、なんとも胡散臭い。 まるでフラシーボ効果が全てであるかのような記述である。
こんなことが書いてあるホームページもあった。
「ツボ押しは、気の流れと深い関わりがあります。つまり、疑いながら行なうと、気の流れを阻害してしまうおそれがあります。信じる気持ちが効果を高めるのです。」
・・・もう何も言う気すら起こらなくなりそうな記述である。
まぁ、とはいうものの、一つの体の中での現象だ。足の親指を押して目の疲労が治るくらいそれほど不思議な現象でもあるまい。 個人的には、飲み薬で水虫が治るほうがよっぽど不思議である。

さて、立ち向かっていった割にはあっさりと結論を投げ出した「ツボの効果の有無」。
今回は、この「ツボ」について述べたいと思う。

WHO公認のツボは、全部で361箇所であるらしい。1日1個のツボを押していくと、1年に4日だけ足りないわけである。あるいは1分間に1個のツボを押していくと、6時間+1分必要なわけである。ちょっと中途半端な収まりの悪い数である。 ただし、誰が決めたんだかもわからない公認のツボの数などあてにならないわけで、実際にはこれら以外にもたくさんのツボが存在しているとの記述も見かける。
361個。五臓六腑で11くらいのパーツしかなさげな人間の体にしては、多い数のような気がする。
そんなにあるなら、とりあえずボツボツの床で転がってろ、と思うのは何も私だけではない筈だ。
だが、どうやらそんなに単純なものではないらしい。
「いっぺんに沢山のツボを押しても、効果が分散してしまいます」とツボHPには書いてあった。
それはアレか? いっぺんに沢山の単語を覚えようとしても、却って混乱してほとんど覚えられないのと同じか?
それともアレか? あまり何度も「愛してる」と言い続けていると、効果がなくなるっていうのと同じか?
まぁ恐らく、いっぺんに治ってしまったら針・ツボ師が失業してしまうから、というのが真相であろう。

さて、この361個のツボは全身に散らばっているのだが、温泉旅館でよく見かけるのは足ツボの絵と足ツボ刺激用の足型の板だ。 見ず知らずの他人が乗ったソレに乗るのには少し抵抗を感じないではないが(その前に見ず知らずの他人が入った風呂に平気で入っているにもかかわらず、だ)、大体の場合、乗ってぎぇぎぇ控えめに騒ぐのが私の通常コースである。
ちなみに、あれに乗っかってどこかが痛いと、ちょっと嬉しかったりする。 勿論、健康であるに越したことは無いが、痛くないと損した気になるのは、根が貧乏性だからだろうか。

と、ここで私は突如、本日二つ目の疑問にぶつかった。
そもそもツボってのは、押すと「どこが悪いか分かる」のだったっけ?
それとも「悪いところが改善される」のだったっけ?

ここまでツボの話をしてきた割には、それが診断用なのか治療用なのかすら分かっていなかったことに気が付いた。 悪いところが治るかと思って痛いツボをグイグイ押していたら、実はその痛みはただ単に「その場所が悪いということ」を示しているだけだったりしたら、遣り切れない。

早速調査してみた。

結論。
ツボは悪いところが分かる上に、それを刺激することにより悪いところが直る。

・・・何ていい加減な。
内視鏡で何回大腸を映し出したって、ポリープは治らないのである。
バリウムを山ほど飲んだって、胃癌は治らないのである。
それなのに、ツボは、悪いところが分かる上に、それが治るというのだ!
まるで家内安全にも事業繁栄にもおまけに五穀豊穣にまで御利益があるという秋田県の太平山○吉神社のようだ。

胡散臭い。

まぁツボというのは人間の体に「気の流れ」というものがあることを前提に、その気の流れに強い影響を及ぼすポイントである、という定義らしいので、
体の部分Aに異常→Aを通る気の流れ(経絡)Xに異常→同じ流れX上のツボ(経穴)Bにも異常→ツボB刺激で気の流れXが正常化→部分Aも正常化
というようなこともあるやも知れぬ。
が、そもそも私は自分に気の流れなど感じたことは無い。これは別に、私が無気力だから、ではない筈だ。
大体、もし仮に、上のAXBXAの流れが正しかったとしてだ。
私ならこう言うに違いない。
「とりあえずAを治しとけ」と。
ツボBの出番なんて、無いのである。

調べれば調べるほど、面白さと胡散臭さ満載のこの「ツボ」。最近は精神的な面でもつかわれるようになってきた。
「女心のツボ」「笑いのツボ」「怒りのツボ」・・色んなツボがあるもんだ。
この中で、最近私が身をもって体験したのが、「笑いのツボ」である。

勤務時間中、私は、話しかけて振り向いた先輩の顔を見て、いきなり爆笑してしまったのであった。
彼の顔(真顔)が、私の「笑いのツボ」をいたく刺激してしまったのだ。
我ながら、失礼極まりない行動であった。

が。
あの、何の脈略もなさげな「特定の視覚情報」と「笑いの発作」の間に、解明できない、だが確かに存在する因果関係を思うと、体のいたるところに散らばっている「ツボ」の存在も、否定できないような気になったのであった。

ツボ。
何とも奥が深い存在である。

※私はツボの専門家ではないので、ツボについて不適切な表現があっても知ったことではありません。

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