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嘘をつく


「嘘つきは泥棒の始まり」ということわざがある。
「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる」とも言う。
このように、『嘘をつく』のは、一般的に、悪い事だという事になっている。

「え?俺?全然勉強してねーよ。まじヤベーよ。」
嘘である。
「いやぁ、御子息、御立派になられましたなぁ。」
嘘である。
「貴方しか見えないの。」
全くの嘘である。

そんな嘘をつかれた結果、自分だけ赤点を取ってしまったり、 親馬鹿丸出しになって陰で笑われたり、 結婚詐欺にあって人生に絶望したあげく『完全自殺マニュアル』を 隣町の古本屋で万引きしてしまったりするのである。あぁ、恐ろしい。

こんな風に、嘘は人を傷つける事があるのだ。
そう、嘘をつくのは、良くないことなのである。

これに対し、確かに、「嘘も方便」とかいうあまりに適当すぎる諺(ことわざ)もある。
ことわざ辞典で調べてみると、 「嘘を言う事は悪い事ではあるが、必要悪という言葉もあるように、 時と場合によっては、物事を円滑に運ぶ為に必要な手段である。これは元来、 仏教の経典から出ていて、衆生を救う為に釈迦も嘘をいったのである。」 と書いてある。
釈迦も嘘を言ったそうである。嘘つきなんだ。嘘つきやーい!
が、釈迦が嘘を言ったからといってそれが、私が嘘をついても良い理由に なるわけではない。何故なら 私は釈迦以上の人格者でありたいと常々思っているからである。
釈迦なんてメじゃないのである。
私は、真実を愛しているし、嘘をつく事を極力避けたいと思っている。

が、悔しいかな、そうも言っていられない場合というのは確かに存在する。

廊下から足音が聞こえ、慌てて机の上に教科書を開く。
と同時にガチャ、とドアが開き、母親が顔を覗かせる。
「ちゃんと勉強してる?」
「うん。」
答えながら、筆記用具が出ていない事に遅まきながら気付き、内心ドキドキしながら母親が 早く出ていってくれる事を祈る。

小さい頃、こんな経験をした人は多いのではないだろうか。

別に私は嘘を付きたいと思っているわけではないのだ。だが、もしここで、
「勉強?してないよ。」
などと真実を語ろうものなら、たちまち母親の小言が始まり、それが 延々と続くのである。無駄である。母親は体力の無駄だし、私は気力の無駄である。 時間の無駄である。得する人間は誰もいないのである。総合して人生の無駄である。
従って、合理的な私の脳味噌は、残念ながら嘘をつく事を選ばざるを得なくなるのである。
嘘をつきさえすれば、全てが丸く収まるのである。

また、「恋人いるの?」と聞かれ、いないのについ見栄を張って
「まぁ、いるけど?」
とか答えてしまった人もいるかもしれない。
そんな経験をした人は、多分、自分にそんな『つかなくても良い嘘』をつかせた相手をちょっぴり 恨めしく思うのではないだろうか。
ついでに、ここでもしあなたが、
「ねぇ、いかにも他人事みたいな言い方しているけれど、それって君の経験談だろう。」
などと私に向かって言うようなことがあると、

「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・そんなわけないじゃん。」

私はまた嘘を付くことになるのである。

聞かれなければ、嘘をつく必要も無いのに。

つまり結論は、私が人格者では無いのは 私の本性が駄目人間だからではなくて、 こうやって私に嘘をつかせようとする人々が 存在するからなのである、ということだ。






人はこれを真っ赤な嘘と言う。

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