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もし宇宙人が来たら
もし宇宙人が来たら。
その言葉の次に来るのは何だろう?
もし宇宙人が来たらー
「攻撃的な性質であった場合、どんな対抗手段が有効か?」
「友好的であっても形状が全く異なる生物であった場合、意思疎通はどうやって図るべきなのか?」
いや、違う。そうじゃない。
それを考えるのも楽しそうではあるが、私はマクロな視点で物を見る事に慣れていない。
私は世間から小市民である事を望まれ、小市民である事を強制され、そして実際に生まれながらの
小市民でありそれ以外の何者でもなかったりするので、小市民的な発想しか出来ないのである。
プチブルなのである。
もし宇宙人が来たら。
そう、その次に来る言葉は、これだ。
「こんな所見られたら恥ずかしいだろうな。」
うわっ!なんて小市民的なんだ!
「人類初!未知なる生命体との接触」という見出しが新聞を飾るであろうその
歴史的記念日に、私はこんな日常的、小市民的な発想しか出来ないのである。
あまりに小市民的すぎて、80年代のお茶の間のアイドルにでもなれてしまいそうなくらいだ。
さて、もし貴方が私と同じく小市民であるならば、これ以上の説明も要らないだろうが、
世の中には小市民というカテゴリー(範疇)から排除されている人間もいるだろうから、
ここで2、3の具体例を挙げようと思う。
例えば、私は小市民だから、人並みに鼻歌なんぞ歌う時もあるのだが、そんな時ふとこう思う事がある。
「もし、宇宙人が今、自分を見たら。」
その宇宙人は、歌という概念を持っていないかもしれない。
もしかしたら、鼻歌を歌うための必需品である「鼻」そのものを持っていない可能性もある。
そんな彼等が、鼻歌を歌っている人間を見たらー
「変だと思うんじゃないか?変だと思うのかもしれない。変だと思うに違いない。」
鼻歌を知らない存在に鼻歌を歌っている姿を見られて変だと思われるのは何だか恥ずかしい。
だから、私は鼻歌を止めざるを得なくなるのである。
(つまり、ぶくぶく星人が、「如何に腹をぶくぶくと波打たせるか」という
芸術文化を持っていたとしたら、それを見た時きっとおかしいと思うでしょう?)
例えば、こんな事もあった。
あれは中学の体育祭での事。
なんとプログラムには、ダンスというおぞましい項目が存在していた。
学年全員参加である。カタカナに姿を変えて澄ました顔をしていやがるが、紛れも無くそれは
近所の幼稚園児がやっている「お遊戯」と同種である。
拒否権は無い。軍隊的だ。個人の尊厳が侵害されている。
こんな風に、時々思い付いたようにアンチ体制(アナーキスト)を気取って見せる私ではあるが、
そこは根が小市民の私の事、嫌々ながらもそのダンスとかいう、お遊戯に毛の生えたヤツ
(しかもその「毛」は禿げオヤジの頭に未練たらしく残っているバーコード髪程度のものだ)
に参加したのであった。
渋々踊っていたその時、私は不意に思った。
「もし、宇宙人が今、自分を見たら。」
その宇宙人は、ダンスという概念をもっていないかもしれない。
そんな彼等が体をくねくねさせて他人に見せている人間達を見たらー
「気味が悪い、と思うんじゃないか?なんだこれ、って思うんじゃないか?
求愛行動かと勘違いするならまだ良い。だけど、変だと思われるのは、
嫌なんだ!」
ダンスなんていう得体の知れない行動をとっている自分が奇妙に思えてきた。
(テカテカ星人が、体と頭の温度差を大きくしてみせるのが芸術だ、という
文化を持っていたら、それを見た時変だと思うでしょう?)
つまり、生きていく上で必要では無い「文化」とか「芸術」とかいった分野に係わっている時に、ふと、
「もし、宇宙人が今、自分を見たら。」と考えると、
芸術を分かった気になっている自分がなんだか恥ずかしくなるのである。
第三者の視点に立って自分を見詰め直すのは悪い事ではない。
貴方も小市民としての自覚があるならば、
「もし、宇宙人が来たら」
という話題になった時には、宇宙人の視点から自分の生活を
見てみる事をオススメする。
きっと、いくつかの行動が出来なくなるだろう。
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