会社の総務部から、研修に行ってこいとの命令が出た。
人間関係のあれこれについて学ぶ研修である。
別に私に人格的問題があるから、というわけではない。
同期入社の人間全員、必ず行く必要があるのである。
お金が有り余っているわけでも仕事が暇なわけでもないのに、何故このような研修に強制的に行かなくてはならないのか理解に苦しむが、世の中に理解不能な不条理な出来事は掃いて捨てるほどあることを私は知っている。
いちいち逆らってもいられない。特にボーナス評定前は。
そこで、研修に参加することになった。3日間(2泊3日)の研修である。
大学の授業や就職活動などでも自分の性格分析を行ったことがあるが、特に意外な結果が出たことは今までない。大体私は、もし意外な結果が出たところで、「なんだこの性格分析。まったく当てにならないな」と、意外な結果のほうを否定するような人間である。加えて、誰かのアドバイスや干渉を受け入れるなど以ての外、と思うような狭い心の持ち主である。
さらに言えば、そういう自分が大好きだったりする、どうしようもない人間である。
このような人間が、強制的に自己啓発研修に参加したところで、何も啓発されないことは目に見えている。アホらしい。
が、しかしだ。
行くと決めた以上、このような経験は効率良く(面白く)消費したほうが良いというものである。
そこで、自分なりの目標を設定してみた。
目標「徹底的に逆」
つまり、予め自分の対外的な性格を会社の同期から教えてもらい、その逆を演じきることにしたのである。
ここで、今回の研修で扱われる「性格」について簡単に説明をしておく。
(なお、1ヶ月前に行われた同じ研修に、他の同期が既に出席していたので、予め情報を取得することが出来たのである。)
性格は、友愛、批判的、合理的、自由、従順の5つのカテゴリに分類される。
友愛:保護、母親、博愛
批判:厳格、規律、批判
大人:機械的、計算、合理的
子供:子供的な明るさ、自由、我侭
従順:主張しない、受身、抑鬱
同期に聞いてみたところ、「大人度は高そう」だとか「友愛か批判かなぁ」などという意見があったが、「少なくとも子供度は低そうだ」というのが共通した意見であった。
私自身も、その意見には賛成である。
私は決して皆でわいわいやるのが嫌いなわけではないのだが、ずっとやり続けることは出来ないタイプである。運動会では応援しないで小説を読んでいて取り上げられるタイプであり、クリスマスの音楽会ではひとりつまらなそうな顔で参加しているのをばっちりビデオに撮られているタイプである。確かに子供度は、低い。
と、いうことはだ。
今回の研修で逆を演じるためには、「子供的な明るさをもった、自由気ままな性格」を演じれば良い、ということになるわけだ。
こうして私は、心に密かな決意をもって、研修会場へと乗り込んだのであった。
【研修初日】
今回の研修は、会社の同期が自分のほかに4人参加している。研修生はそれを含め、約20名である。そして、何かの権威である爺さんが講師である。
まずは、人間関係とは何か、という授業から、研修は始まった。
・・・いきなり突っ込みどころ満載の講義である。
が、ここでうんざりした顔をしてはいけない。私は、この3日間は「明るい子供」的性格の持ち主なのである。
従って、講義は目を輝かせて素直に頷きながら聞かなくてはならない。
メモだって、皆と同じタイミングでとらなくてはならない。
ただし、書く内容まで、皆と同じである必要は無い。
以下、開始3時間までに私が資料に書き込んだメモを抜粋してみた。
・みんな何メモってんだ?
・開始30分。前の人、寝てないか?
・ていうかこれは、上司が受けるべき研修だろ。
・出た!フロイト!
・なんか天気悪くなってきたなぁ・・。
・コウテイ・・コウ定・・・・・漢字書けない
・うさんくさっ
・誰も笑わんのかい! < GRAY → グレイ
・やっぱこういう職業選ぶ人って、比較的つらい過去を持っているんだろなぁ。
・見習い姉ちゃんはちょっと苛立ち気味。足が貧乏ゆすり
・首の筋違えそう
導入の講義が終わると、自己紹介から始まった。
が、流石、自己啓発研修。言葉を使用せずに自己紹介をする、なんていうお題である。
無言で知らない人に向かって名刺を指差したり握手をしたりでアピールする、というものである。
なんで私がそんなことをしなきゃいけないんだ。
と、思うが、ここは我慢。せいぜい自由な子供度が高く見えるように、愛想良く笑顔で握手して回る。手汗の交換会だ。イヤッホー。楽しいぞ。
挨拶が終わると、さっそく自分の性格分析テストにとりかかることになった。
資料内のあるページに並んでいる問い数十問に対する答えを、同じページの用意されたマスに書き込んでいくタイプのテストである。
繰り返しになるが、こんなテスト、やるまでもない。
間違いなく私は、批判的で大人で素敵なタイプなのである。
だから、今回の目的「全てが逆」を達成するには・・・「子供」が最も高くなり、次に友愛や従順が高くなるように、設問に答えるようにすればよいわけだ。
この設問シートがまたエラく単純で、どの問いにどの回答を選択すればどのタイプになるかが一目瞭然な方式なのである。
それぞれの列の合計点を計算しながら設問に答えていったところ、
見事に、「子供」>「友愛」=「従順」>「批判」>「大人」の順に点数が付いた。
なかなかいい感じである。
次の実習では、隣の見知らぬ研修生とペアになり、分析結果を見せ合い、その後、互いの性格を言い当てるゲームを行うことになった。
研修生A「結構、情に流されやすいタイプなんですか。」
私 「・・ええ、そうですね。なんとなくその場の雰囲気とかに影響されやすくて・・」
研修生A「推理小説よりはファンタジー系の方が好きですか?」
私 「・・・ああ、そうですね。ハリーポッターとか・・?(←何故か疑問系)」
先日、新聞で読んだが、人間嘘をつくときのほうが、本当のことを言うよりも脳を働かせているらしい。どうりで疲れたわけだ。
しかし、結果のほうは上々。
研修生Aから「ああ分かる、結構明るい感じだよね」という台詞も引き出すことに成功し、1日目は無事、明るく元気なイメージで通したのであった。
【研修2日目】
「許し」をテーマとした講義がある。
「プラスの感情でもマイナスの感情でも、受け取る方は許容量があるが、与える方は無尽蔵に与えることが出来る。だからどんどんプラスの感情を人に与えていきましょう」
そんな内容であったが、そんなエネルギー保存の法則を無視した心理学など、
信じられるわけがない。実際、会社の上司に「へー凄いですね〜(プラスの感情)」と言ってあげる度に、自分の中の何かが磨り減っていくのを、私は感じる。
だが、そんな突っ込みは厳禁。この3日間、私は、“明るく疑うことを知らない子供”人格なのだ。
その後、再び実習の時間となる。
ペアとなった人間の後ろに立ち、「あなたはもっと感情を出してよい」「あなたは自分を優先してよい」「あなたは弱みを見せても良い」・・・などと、許可の言葉をささやくというものである。
この行為に一体どれほどの意味があるのだろう。
「昨日知り合ったばかりの人間が、講義の内容に沿って、自分の後ろで文字を読んでいる。」
その事実以上の何かを感じ取れと言われても無理というものだ。
ちなみに、自分がささやく番になったとき、視力が足りず、白板が良く読めなかった。
「あなたは・・・えーと・・・弱み?弱みを見せても良い。次は、えーと・・・」
ペアの相手に少々迷惑をかけてしまったのは、多少申し訳なく思った。
2日目昼休みとなる。
ここにきて、早くも、私の中の本当の自分が、耐え切れなくて目覚めようとしていた。
笑顔も引きつり気味になり、会話中のコメントもひねり気味になってくる。
いかん、このままでは、元の私に戻ってしまう!!
耐えろ、耐えるんだ!
ある意味、精神修行にはなっている気もする。
一気にテンションダウンしたまま2日目の午後の講義が始まる。
次の講義は「自己変革」である。
現在の自分を、例の5つに分類された性格グラフ書き、その上から、理想の自分を書く。そうして、理想に近づくにはどうしたらよいかを、5人チームを作り、その中で互いに話しあうのである。
先程、「許し」の講義をしたばかりだというのに、「今の自分のまま」は許されないらしい。私は別に今の自分で良い。究極の許し−自己肯定である。
ま、とはいうものの、私は、「今の自分の表」からして偽って書いていたわけで、それの修正なんていくらだってやってやる、ってなもんである。
偽表から考えると、「大人度を上げます」ということになるのだろうが、ここで、小さな問題が起きた。チーム内に、同じ会社の同期がいたのである。
これでは、あまり嘘もつけない。
しかも、お昼でテンションダウンした私は、実は自由度が低いことがバレはじめていたため、偽表では既に子供度が一番高くなっているにも拘らず、周りの皆に「子供度を上げたら?」とアドバイスを受けてしまったのであった。全く余計なお世話である。
次の実習は、先程の「理想」に従って、それに近づけるために具体的に何を行うかを皆の前で宣言する、という今時の小学生だってやらないような実習であった。
はなから実行するつもりのない宣言である、ここはせいぜい妙なものを選んでおこう。
子供度を上げるには何をしたら良いか、例が資料に載っている。
・計画を立てないで外出する
・大きな声で挨拶する
・美味しいものを食べる
・スキップする
etc.
というわけで、私は20人の研修生の前に立ち、
「宣言します。私は、美味しいものを食べて、スキップします」
と、高らかに宣言して見せたのであった。なんとなく、屈辱的だった。
いくつかの講義と実習の後、夕食の時間となり、さらにその後も講義は続く。
この辺になると、いい加減、ストレスが溜まりに溜まってきている。
次の実習は、「人との係わり合い」についてである。
自分が小さいころにあった一番楽しかった/嬉しかった出来事を書き、それを3人チーム内で紹介しあうというものである。
その後、「人との係わり合いは大切だよ」という話につながるわけである。
自分の経験を紹介?
なんで私が知らない人の前で自分の過去とか話さなきゃならんのだ。
だいたい、小学生の時の嬉しかった話などほとんど覚えていないし(というかすぐには思い出せないし)、辛うじてすぐ思い出せる嬉しかったことと言えば、「インコを飼った」とか「100円玉を拾った」とか、人との係わり合いという話にもっていくためには不適切な話ばかりである。今回の研修では、大分はがれかけてきたとはいうものの、明るい素直な子供を演じ続けることを自分に課している私としては、それにあった過去話をする必要がある。
というわけで、過去の話は、全て捏造することにした。
Q :今まで一番嬉しかった出来事は?
私:怪我をして学校を休んだ時に、友達がお見舞いに来てくれたことです。
Q :それでどう思いましたか?
私:友達を大切にしなくちゃ、って思いました。
ちなみに私は、小学生の時も中学生の時も皆勤賞である。
運悪く、その時のチームにも同じ会社の同期がおり、そいつから質問された時は焦った。
Q :「いつごろの話?」
私:「・・えーと5年の時かな」
Q :「何日くらい休んだの?」
私:「・・いや、別にたいしたこと無かったから、数日だけ・・・」
その後も嘘に嘘を重ね、だんだんと眼が泳ぎ始めた自分を意識したのであった。
もし閻魔様というのが本当に存在していたら、この研修の間についた嘘だけでも、間違いなく舌を抜かれるであろう。
次の実習は、「明るい気持ちになろう」というものだ。
それぞれの背中に貼り付けた紙に、第一印象でも何でも良いから、相手の良い点を書きあうのである。
「目が綺麗」とか「頼りがいがある」とか、まぁそのあたりの差し障り無いことを互いに書きあうわけである。
会社の同期は流石に判別できるが、会って1日の人たちなんて、見分けさえ付かない。何を書けというのだ。
が、参加しないわけにもいかないので、「明るい」「リーダー格」など、前の人が書いた項目を参考に、適当に書き連ねて行った。
そんな義務的な数分間が過ぎ、背中の紙を自分で見る時間となる。
ここで私が書かれた項目を実際に挙げてみようと思う。
・優しい
・しっかりもの
・おもしろい
だいたいそんな項目が書かれていた。思わず鼻で笑いたくなるくらいありきたりの内容である。もっとも自分も他人にそんな言葉しか書かなかったわけではあるが。
大体、私が優しくてしっかりしているように“見える”というのは、分かりきっていることである。今更言われたところで別に嬉しくないし−無論悲しくも無いが−、会って一日の人間に自分を評価されるなど、むしろ腹立たしいくらいである。
ちなみに「面白い」に近い内容を書いたのは全部会社の同期の人間で(クレヨンの色と書いている大体の順番をチェックしていたため判別できた)、そう書かれたのは実はちょっぴり嬉しかった(笑)。
実習はさらに続く。
書かれて一番嬉しかった項目を挙げろと言う。それを選んだ後、なんと・・。
車座に座った研修生の前に立ち、こぶしを振り上げ、
「宣言します!私は、○○」
と大きな声で言うのである。
そして、その宣言の後に、他の研修生達は「そのとおり」と、こちらも片手を挙げて、賛成するのである。う・・・・
胡散臭い。宗教か、これは。
なんで私がそんなもん宣言しなくてはならんのだ。
明るい気分になるためのゲームだということは分かるが、先ほども述べたように、私が優しくてしっかりしているように“見える”のは分かりきっていることであり、それを宣言する必要性はまったく感じられない。
が、ここでそんな主張をして宣言を拒否すると、それこそ本当にどこかに連れて行かれて洗脳されかねないので、どれかを選ばなくてはならない。
というわけで、とりあえず一番上に書かれている「雰囲気が優しい」を選んでみた。
そのとおり!そのとおり!と、他人の宣言に対し、投げやり気味に右手をふりあげていたら、自分の順番になったので、前に出て行って、宣言する。
「宣言します。私は雰囲気が優しい!」
そのとおり!
研修生達が賛成してくれる。勿論である。そういうことになっているのだから。
その時は、あまりの馬鹿馬鹿しさにうんざりしていた私だったが、研修後、意味なく突然「そのとおーり」と言って片手を挙げるのがマイブームとなった。
その日の最後に、自分を主人公にした童話を書くという宿題が出た。
ただし、他人に読ませたくない場合は「前略、中略、後略でも良い」=全く読ませる必要が無い、とのことである。
他人に読ませなくても良い=書かなくてもバレない、と、判断した。
元より、真面目に物語など書くつもりはない。従って、それに時間を費やすのは時間の無駄である。ただし、まったく白紙の原稿用紙を持っていると、やっていないことが一目でばれてしまう。
ということで、冒頭と結末だけそれらしい、適当な文章を書くことにした。
興味のある方は、
「ここ」に完全バージョンを記載してあるので、御覧下さい。
誰にも見せないつもりで書いた文章を、こうやってHPで公開するというのもおかしな話ではあるが。
【研修3日目】
さて、一夜明けて、長い研修もようやく最終日となった。3日目ともなると、本当に気力疲労が溜まってきている。
最終日の最初テーマは、心理分析の体系についてである。
フロイトから始まり、○○の××分析法があり、△△の□□分析法があり・・・
と説明的な話である。
無論、真面目に聞いている振りだけしてまともに聞いていなかったので、「その裏には、●●があります」と講師が言った時、反射的に開いていたページをめくって裏を見てしまったが、白紙だった。「・・という説を唱えましたが、
その裏には、次のような意図
があります。」とでもいう内容だったのだろう。
小休憩時に会社の同期が話しかけてきた。
「怖いよね、こんな風に自分の性格が出てしまうのって」
流石に嘘をつくのも心苦しくなってきたところだったので、常にない素晴らしい笑顔を返すことで返答を避けた。
次に再び実習となる。
今度は、自己肯定/否定と世界肯定/否定についてである。
20程の設問に答えることで、自分にも世界にも肯定的な人格(一言で言うと明るい人)、自分には肯定的だけど世界に対しては否定的な人格(一言で言うと人の所為にしがちな人)、自分には否定的な人(一言で言うと何でも自分が悪いんだと思う人)、自分にも世界にも否定的な人(一言で言うと暗い人)という4分類に対し、点数を導き出すのである。
・・・これまた、どう答えればどういう点数が出るのか、丸分かりな形式であった。
全く、私のために用意されたかと思うような形式(=いくらでも思い通りの答えが出せる)である。
無論、これは、「自分にも世界にも肯定的な人格」が高いのが模範解答なのだろう。
というわけで、それが高くなるようにチェックはしたのだが、あまりそればかり高いと、それはそれでよくないのかもしれない。そう思い、「世界に対して否定的」や、「自分に対して否定的」に関しても少し値を割り振ってみた。
・・・でもちょっとまだ、「自分にも世界にも肯定的」度が高すぎるかなぁ。流石にわざとらしかったか。
と思ったが、見回りに来た講師が私の偽表を見て、「ちょっと否定度が高いね〜」と言ったのには驚いた。今回は読みを誤ったらしい。
研修も終わりに近づき、昨日の宿題である物語の発表時間となる。
私は無事に、「中略」で乗り切った。
後で講師が言うには、「それはあなたのこれからの人生を示唆するものです」とのことらしい。
ふぅううん。
最早、頷く気力も無かった。
既に、「子供的な明るさをもった、自由気ままな性格」を演じる気力は、跡形も無く消えうせてしまっていた。
こうやって、2泊3日の自己啓発研修は終わりを迎えた。
全体的に胡散臭くはあったが、「こうしなければいけない」「こうするべきだ」などの押し付けがましい話もなく、講師の嘘か誇張か分からないような(笑)体験談も比較的面白かったとは思う。
ただし、現象とそこから導かれる結論の間に、なんら合理的な説明がつけられていない講義内容から得られるものは、何一つなかった。
唯一の収穫といえば、無表情に「そのとーり」と言って右こぶしを振り上げる楽しさに目覚めたことくらいである。
<後日談>
研修の次の週、会社に報告書を出した。
「全体的に興味深い内容ではあったが、このような研修は"自分の性格を改善したい"、"人間関係で悩みがある"などの理由から自発的に行きたいと思う人間だけが行ったほうが無駄がないかと思います。」と、評価2(あまり役に立たなかった)をつけて出したら、課長から「○○さん(私の名)は勿論正直に書いてよいのですが、点数が悪い場合、
部長が改善案を総務に出さないといけなくなって面倒なので、点数をつけかえてくれと言ってくるかも知れません。一応そのつもりで」とのメールが来た。
※全体的に、管理人の記憶が曖昧なため、記述した出来事の順番は実際の時系列とは異なっている可能性もあります。